札幌史跡探訪 ― 平岸街道界隈 ―

目次

  

1.水車町公園

某月某日某GW。

この日もギリギリ雨は降らない模様。

自転車に乗って軽ーくサイクリング。

 

まずは豊平川近く、水車町公園からスタート。

 

 

水車町1丁目、南7条米里通の高架下に位置する公園。

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公園内の案内板。かつては水車川という豊平川の支流があった。

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川辺には水車小屋が並び精米を行っていたとある。

町名はその名残だ。

 

公園内には水車を象った噴水?水路?が設置されていた。

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現在水車川は埋め立てられたようだ。

もう少し上流部では遊歩道・自転車道路にもなっているらしい。

 

2.4号用水路跡

続いて平岸街道に入って南を目指す。

まず地下鉄北海学園前駅2番出口そばの歩行者専用通路に寄り道。

 

 

ここにも史跡の案内板が掲示されている。

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精進川から平岸街道に掘られた18本もの用水路のうち、ここには4号用水路が通っていた。豊陵公園から菊水へと向かっていたらしい。

精進川は滝野すずらん公園近くを源流とし、北へ向かって流れる川。 

 

ミュンヘン大橋付近で分流し、放水路を経て豊平川へ流れこむ流路と、平岸・中の島の境界となって幌平橋のやや北で豊平川に合流する流路に分かれている。

元々は現在の放水路が精進川の本流であり、北へ向かう流路は豊平川の分流であった。

河川改修によって現在の流路が完成した。

 

平岸街道の建設は明治4年1871年)の開削が始まり。用水路の建設はほぼ同時に行われたと思われる。

街道に用水路を掘ったとあるが、まさしく道の真ん中に堀があったそうだ。

 

3.りんご倉庫

明治初期、開拓が始まったころは水田とりんご栽培がこの辺りの主産業であった。

りんごは後に平岸リンゴというブランドとなり海外への輸出も行うまでとなった。

現在でも、平岸街道沿いにはレンガや札幌軟石で造られた当時の名残となるりんご倉庫が幾つか残っている。

 

一つ目は旧中井家リンゴ倉庫 

 

 

ここは煉瓦造りと石造りが2つ並んでいる。 

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手前の建物がリンゴ倉庫。現在は平岸天神太鼓道場に使われている。

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都市景観重要建築物にも指定されている。

 

一方、後ろの石造りの建物

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何も情報はないのだが、これも昭和期の倉庫に見えるのだけどねえ。

 

次はこちら

 

 

こちらは街道に面し、飲食店とビルの間、少し奥まった場所にひっそりと佇んでいる。

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こちらは明確に札幌軟石造りと記載があった。 

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溶結凝灰岩についてはこちらの記事で調べたことがあります。

kamonji224.hatenablog.com

 

本当はもう1か所あるのだが、より忘れてしまったのでストリートビューで紹介。

 

現在はサッポロ珈琲館になっている少し大きめな建物。

ここは倉庫というより共同選果場で、作業場と集会所になっていたらしい。