札幌史跡探訪 ― アンパン道路 ―

目次

  

1.アンパン道路の概要

月寒公園そばには「アンパン道路」という変わった名前の通りがある。

国道36号線と平岸街道を繋ぐこの通り、明治につくられた歴史ある道なのだ。

 

事の発端は明治末期の1910年、月寒村・平岸村・豊平村の合併。

その結果、豊平村にあった役場が月寒に移転することとなった。

平岸村の住人が役場へ行くためにはかなりの大回りをしなければならなくなったため、新しい道路を建設することに。しかし予算が厳しく第7師団に支援を依頼したところ、なんと無料で工事に従事してくれるとのこと。

 

せめてものお礼ということで兵隊に渡されたのが地元で製造されていたアンパン。

その効果もあってか2.6kmの道のりを4か月で完成。

このことからアンパン道路という名がつけられ、現在に至っている。

 

国道36号線との交点。看板が設置されている。アンパンを模したものも。

 

今でも月寒あんぱんは町の名物だ。

 

 

 

ここから平岸街道方面へ向かうことにする。

 

2.沿道の史跡

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緩やかな坂を上っていくと豊平町役場跡の案内板。

上記の3村合併後に移転した役場である。アンパン道路建設の原因ともなった場所だ。

 

現在は児童会館が建てられていた。 

 

 

さらに先へ進んでいく。

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「旧たくんち」という変わった名前の建物。

倉本龍彦氏は住宅設計を中心に活躍する建築家で、道都大学の名誉教授。

建物名の由来となった子息の倉本琢氏も鎌倉市を拠点とする建築家。

 

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下見板とは横長の板材を少しずつ重ねて縦に並べていったもの。

雨風に強くかつては木造建築外壁の定番仕上げであったそう。

現代の建築基準では防火構造も求められるため、使われることはほぼなくなりサイディング仕様が多くなったそうな。

 

現在はサッポロ珈琲館の店舗として利用されている。

 

 

3.アンパン道路の道のり

たくんちからもう少し進むとT字路にぶつかりここを右折。

望月寒川流域となってアップダウンが続く。

 

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アンパン道路のルート案内。消えかかってちょっと見えにくい。

 

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石碑も設置されている。

 

 

 

羊ケ丘通りまで坂をエイコラ上っていく。(;´Д`)

 

今では幹線道路となり、さらに延伸を続ける計画もある羊ケ丘通。整備が始まったのは1973年。アンパン道路建設時には存在していたのかどうかも疑問。

 

引き続きえいこらしょと坂を上って平岸プール辺りが丘のてっぺん。

この辺りは4万年前噴火によって支笏湖から流れてきた火砕流堆積物でできた地形。

豊平川の浸食によって広がった扇状地との境目にあたるそうだ。

水曜どうでしょうで全国区?になったHTBの旧社屋(撤去済み)や高台公園があるのもこの辺り。

 

そこから南平岸駅まで急坂を駆け下り、また平岸街道まで上っていく。

 

 

南平岸駅の位置が谷状になっているのは、かつて小泉川という川が流れていたため。

宅地化によって現在はほぼ痕跡を消したが、この川を境に西側がリンゴ畑、東側が水田となっていたそうだ。

そして地下鉄南北線南側の前身であった定山渓鉄道はこのリンゴ畑と水田の境に建設されたそうな。

 

www.doshin-apple-news.jp

 

平岸街道、現在の平岸小学校付近がアンパン道路の平岸側基点。

 

 

 

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ここにもあんパンを模った案内板が設置されていた。