札幌史跡探訪 ― 大久保レンガ工場跡と月寒川 ―

目次

 

1.大久保レンガ工場跡

第25連隊関連施設跡に建設された道を東へ向かう。

白石藻岩通りにぶつかって北へ左折。

少し歩くと大久保レンガ工場跡の説明板が設置されている。

 

 

説明板は札幌東自動車学校の敷地片隅にあり、当時の面影は何もない。


大久保清吉氏が始めた1880年代に始めた煉瓦工場は札幌の煉瓦造りの先駆けとなり、戦後の1955年まで稼働していたという。その後月寒・白石地区にレンガ工場が次々とできていく。

説明板に書かれている道庁の赤レンガやサッポロビール工場以外にも、月寒小学校の旧正門、あやめの児童会館にある旧伊藤牧場サイロ、旧中井家リンゴ倉庫(現平岸天神太鼓道場)にこの工場で作られたレンガが残っているそうだ。

この辺りの地質は粘土質の火山灰で煉瓦を作るのに適していたそう。

1900年頃になると江別市の野幌で鉄道に関連してレンガ製造が始まり、北海道の煉瓦産業の中心になっていった。

 

2.月寒川

少し北へ進むと月寒川とぶつかる。

1940年代までは地名同様ツキサップと呼ばれていた。

陸軍が難読を避け、つきさむに改名。

 

橋の脇には水道管が通っている。

月寒川は西岡水源地から続いている川なのだ。

 

今昔マップより

 1970年代まではかなり蛇行しながら進んでいたことがわかる。

現在は直線化が進み、それに伴って川沿いの土地も区画整理が行われ、住宅街となっていった。

 

月寒川東部は向ヶ丘と書かれている。

正式な住所にはなっていないようだが東月寒向ヶ丘地区・向ヶ丘通りなどに今も使われている地名だ。

この辺りは八紘学園の所有していた土地。

月寒学院→北海道農業専門学校と名を変えて今も残っている。

産業共進会場は後の月寒グリーンドーム

天候に左右されない家畜の共進を目的として整備される。1986年に家畜の利用は終了したが、その後も札幌を代表するイベント施設として利用された。

老朽化のため2018年に解体される。

八紘学園を開設した栗林元二郎は、北海道の農業振興のためにこの月寒で広大な土地を購入し、教育に従事した。今も地図上で住宅街になっていないスペースは八紘学園の農地である。日ハムの新球場移転地候補になったり、何か大きな開発計画があると候補になる(狙われる)土地である。

 

3.あやめの中学校の遺跡の森

さらに北へ進むと学校の校門にこんな説明板があった。

 

月寒川とラウネナイ川の合流地点近くの台地上にあり、縄文時代の竪穴住居・墓・石器や土器が発見されたそうだ。

 

国土地理院地図より。川に挟まれた台地の突端部分にあるのがわかる。

 

水を確保しつつ、水害のリスクが低い地形。

戦国時代の城にもよく見られる立地だが、やはり使い勝手が良い場所なのだろう。