札幌史跡探訪 ― 歩兵第25連隊本部跡 ―

目次

 

1.歩兵第25連隊本部跡

某月某日この日はちょっと事情があって徒歩で札幌市内を探索(徘徊)。

最初の目的地は歩兵第25連隊本部跡。

 

 

かつて陸軍が駐屯していた月寒地区。その本部があった場所だ。

歩兵第25連隊が設置されたのは1900年月寒東1条3丁目から2条8丁目まで敷地があったという。

 

月寒東1条3丁目はこの辺り。

 

 

月寒東2条8丁目はここ。

 

 

月寒高校や月寒体育館、札幌開発建設部などはこの敷地跡に建てられたようだ。

 

 

今昔マップで見てみると

1916年の地図と比べてみると長方形の敷地がわかる。

当時は殆ど道路もなく、移転後もこの長方形の敷地内は外郭を生かした綺麗な区割がなされている。

 

1950年代初めから1970年代半ばの地図と航空写真。

 

1950年代初めはあまり戦前と変わっていない様子。

陸軍施設は米軍が接収したらしい。米軍が真駒内に移って行ったあとは海外引揚者の住宅としても使われたそうだ。

歩兵第25連隊本部跡の説明板からやや北にある豊原寺は樺太の豊原から引き揚げてきた住職が開いたお寺とのこと。

ストリートビューで本部跡前の通りを見てみよう。

 

国道から脇に入った道路幅の狭い通りだが、住宅街というより店舗が多い。

国道沿いには明治期から軍隊に需要のある店が徐々に増えていき、商店街が形成されたが、この辺りは引揚者住宅が利用する店や、後の時代に行政施設などが建設されてからの店が残っているようだ。

1950年代には練兵場跡に競輪場もできていたが、その後スケート場をへて今は体育館とカーリング場になっている。1960年代には現在の区割りがほぼできていたようだ。

 

ちなみにこの辺りに陸軍施設が置かれた理由の一つはその地形。

地理院地図より。

 

札幌市中心部より一段高い、月寒台地と呼ばれる高台にあったことがわかる。

軍の施設は水害を避け、地盤のよい高台に作られることが多かったそうだ。

この辺りは中世の城から変わらないのだろう。

また、この地の開拓に尽くした吉田善太郎氏から土地を提供されたことも理由の一つだったそうだ。

 

国道36号線の反対側にある月寒公園も軍の射撃場などに使われていた。

kamonji224.hatenablog.com

 

2.歩兵第25連隊と北部軍司令部の沿革

歩兵第25連隊の成り立ちは1896年、屯田兵をベースに第7師団を創設したことに始まる。日露戦争以降の戦いに従事。

第7師団司令部は1901~02年に旭川へ移転していくが第25連隊は札幌近郊の担当となり、そのまま残る。

1939年には樺太混成旅団に編入、さらに第88師団所属となりそのまま終戦を迎えた。

 

北部軍司令部は日本各地を東西南北の4つに分け、その内の樺太・北海道・東北を所管した北部軍の司令部。ここで作戦・動員・経理などの権限を有し命令を伝達していたわけだ。