道北をいっぱい巡った。 ― 稚内副港市場 ―

目次

 

1.稚内副港市場

さて、次の目的地は稚内副港市場という商業施設。

 

 

かつての第一副港に土産物・食事処・入浴施設・港ギャラリー・FMわっかないなどが入居し観光拠点とすべく設置された。しかし来場者減少により2020年3月に店舗が大部分閉鎖となってしまった。

 

2.ギャラリー

ギャラリーは健在。

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稚内港駅の駅舎を復元。

 

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現役時の駅舎写真。

 

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最初は連絡船待合所→稚内港駅として連絡船へ接続。

 

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稚内桟橋駅はわずか6年の利用に終わる。

現在公園になっているところが貨物のホームだったというわけ。

 

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旅客ホームや待合室の写真。

復元前の北防波堤ドームの写真もなかなか貴重かも。

 

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稚内の港と樺太の本斗(現在のネベリスク)港・大泊(現在のコルサコフ)港。

稚内~本斗は北日本汽船の稚斗航路で樺太西線と接続していた。

 

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当初は待合所から曳船タグボート)による艀(ハシケ)輸送。

艀とは輸送に使われる推進能力のない船のこと。

 

北陸新幹線の車両を艀に積み込む様子。

 

 

 

 

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この頃は現在の稚内駅付近はすぐ海。

今の開運地区辺りは埋立地ということだろう。 

 

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乗船口もしっかり再現。 

 

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駅スタンプ?大泊港駅が描かれているのだろうか。


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宮沢賢治も乗船したらしい。

教師だったころ樺太王子製紙に努める教え子を訪ねて行ったらしい。

また、この前年に妹を亡くしており彼女の魂を追い求める旅という説も根強くあるそうだ。鉄道や鉱物好きな趣味も影響していたのかもしれない。

 

岩手で宮沢賢治にまつわる場所とかにも行ったのを思い出す。 

 

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建物の中には巨大な船のモニュメントも。

第一副港丸っていう船があったわけではないと思うが、何かモデルになった船があるのだろう。

 

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外には錨のモニュメント。これもレプリカなのかな。

 

3.樺太の鉄道 

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改めて見ると樺太って相当細長いよねー。

ブラタモリで行ってもらいたいが難しいだろうな。

南北約950km。北海道より面積は若干狭いそうだ。 

 

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江戸~明治初期にかけては日本とロシアがごちゃごちゃしていたようだが、1809年間宮林蔵樺太が島であることを確認。世界史の記録に残るものとしては初めてということになる。1875年樺太・千島交換条約樺太は完全にロシア領となる。

1905年日露戦争後のポーツマス条約で北緯50度以南の南樺太が日本領となる。

1945年8月25日、ポツダム宣言受諾後も続いていたソビエトの攻撃が終了。

今も正式な条約は結ばれていない。

 

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樺太の鉄道について。

 

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路線図。樺太東線は約410km。樺太西線は約170km。

どちらも海岸線に沿って建設されている場所が多い。

 

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樺太庁は官庁かつ行政区画でもあり、都道府県と同じような機能を持っていたようだ。

 

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樺太にあった駅舎と鉄道局。

どちらもかなり立派な建物。特に豊原駅はかなり大きくて貫禄のある造り。跨線橋が小さく見える。

 

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豊原は現在のユジノサハリンスク

 

 

現在は近代的な駅舎に生まれ変わっている。

 

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樺太で使われた車両は日本の車両と異なる採番方式だったよう。

 

平取町の振内駅跡には樺太で使われたSLが今も保存されている。平成になって北海道に戻ってきたのだ。

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鉄道とは離れるが、当時の中学校の写真もあった。

 

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学校には見えない、きめ細かな装飾。

何となくヨーロッパ風の建物に思える。 

 

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副港市場の外観。

いくつか店舗は残っているものの、空きスペースも大きい。

どうなってしまうのだろうか。




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