札幌史跡探訪 ― 白石あかつき公園 ―

目次

 

1.白石あかつき公園

地下鉄南郷13丁目駅より少し北にある白石あかつき公園へ到着。

 

 

 

野球場の周りを舗装された道が囲んでいる。

 

隅に黒い記念碑が建っている。

角度が悪くて写っていないが、吉田山第一地区土地区画整理記念碑とある。

 

裏側には区画整理のあゆみ。

1969年に組合を設立し、3年後に工事竣工となったようだ。

 

今昔マップを見ると、1916年の地図ではまだ自然のままと思われる月寒川の流路。

西へ蛇行している部分が今の白石あかつき公園や東白石小学校のあたり。

 

そして少し東側に現在の千歳線国道12号線の間に吉田山と書かれている。

地理院地図を見てみるとこの辺りが丘陵・台地になっているのがわかる。

 

おおよそ16丁目辺りから小高くなっている。

さらに東側はまた低地でそこは古くから大谷地と呼ばれていたところ。

 

現在の地図と1960年代の航空写真を比べてみる。

ラウネナイ川と合流した月寒川の両岸、今の南郷13~15丁目は一部畑地の原野になっている。ここを境に西側は宅地、東側はほとんどが農地だ。

 

1970年代の地理院地図と航空写真。

宅地化はかなり進み、月寒川も直線化している。

川を挟んで東白石小学校と東白石中学校も建てられた。

 

2.吉田善太郎

吉田山の所縁となったのは吉田善太郎という人物。

岩手より月寒へ移住してきた人々の中の一人で、「吉田用水の開削」「白石用水の開削」「月寒学校の創立」「大谷地簡易教育所の創立」「月寒歩兵第25聯(連)隊の誘致」「農商務省種蓄牧場(現在の農業研究センター)の誘致)」「日露戦争に際しては、多額の軍費を献納」などの功績を残した。

 

吉田山と名付けたのは歩兵第25連隊の連隊長だったそうだ。

地形図を作成していた陸軍に上申し記載されていたが、戦後住宅地となった時に地名としては地形図から消えた。

今は公園にその名を残している。

 

吉田山公園

 

 

吉田山2号公園