札幌史跡探訪 ― 北都団地と北白石川 ―

目次

 

 

1.北都団地

平和駅から北へ向かう。

北都公園で一休み。

 

地図にある通り、わりと敷地の広い公園。

 

 

遊具も充実している。

 

公園の一角に史跡の説明板が立てられている。

 

住所は白石区北郷だが、俗称として北都という地名があった。

今も学校や保育園、商店名に残っている。

 

この辺り、最初に開拓したのは北村農場、ついで伊藤農場が開拓を行っていた。

今昔マップより

1935年の地図には伊藤農場が確認できる。

この少し前から水田耕作が始まる。それ以前、公園付近は草刈り場と呼ばれる共有地であったようだ。

戦後農地解放により、独立した水田農家が北斗農事組合を設立。転じてこの地域を北都と呼ぶようになったそうな。

1950年頃後継者不足による離農が増える。農地転用によって不規則な私道や家屋が乱立し始めた。さらに上流の水田地が増えたことで灌漑用水も不足。

1963年水田耕作は廃止となった。同時に関係者の協議によって区画整理を決行。

4か年事業で北都団地を造成し、住所は北郷編入となった。

北海道で初めて農地を住宅地に転用した事業となり、住民も増加。

しかしちょうどこの頃札幌貨物ターミナル駅の建設などで踏切封鎖問題が起きる。

交渉の末跨線橋を建設、後に平和駅も設置され交通の便は改善された。

 

札幌市HPより区画整理の図

www.city.sapporo.jp

 

2.北白石川

さて、区画整理によってこの地域の住所表記は北郷と川下に分割された。

その境となったのが北白石川である。

といっても今の地図だと北白石川が表記されているのは北都幼稚園以北部分のみ、

実際に目にすることができるのも同じ位置だ。

上の札幌市の土地区画整理事業によると、北白石川ではなく、鉄北線沿排水と記されている。

 

同じく札幌市のHPの「川のすがた」によると

北白石川は豊平川や月寒川、厚別川の各堤防に囲まれた地域の内水排除を目的として整備された川とある。これらの川は融雪期や豪雨時には河川の水位が周辺地盤よりも上昇するため、北海道開発局で月寒、厚別、山本の各排水機場を建設し、札幌市はその導水河川として、米里川、北白石川、山本川の整備を行ったそうだ。

 

再び今昔マップを見てみよう。

 

北白石川の起点部分からまっすぐ南へ向かい、途中でS字気味にカーブしながら再び南へ向かう道。1960年代の航空写真で見ると、道と水路が並行に通っているのが見える。

 

北郷四条13丁目・14丁目と川下四条1~3丁目付近の少し歪な形はこの水路を境とした区画割の為に生まれたわけだ。

 

少し北へ進んで、川北一条3丁目の北白石川沿いから不思議な角度で分かれる道も水路の通りに道路を作ったためにできたというわけ。