札幌史跡探訪 ― 北海道暗渠排水施設発祥の地 ―

目次

 

1.北海道暗渠排水施設発祥の地

北13条北郷通を東へ進み、厚別側沿いまでやって来た。

ここでちょっと南へ向かい、住宅街の中を進む。

 

目的はいつもの如く史跡の説明板。

ここにあるのは北海道暗渠排水施設発祥の地の説明板だ。

 

 

 

1893年長野県から入植した中澤八太郎氏は厚別川の水利と平らな土地に惹かれ、この地を水田開拓することに。これより前、北海道では大干ばつが発生し、湿地の水田化が進められていた。

しかし泥炭地故に水がどこまでも浸透し、身が埋まるほどの田んぼになってしまう。故郷にあった桑畑の水路にヒントを得て、あぜ道に沿って幅40cmの水路を掘削。2段階の深さの溝を掘り、1段目と2段目の間に板を敷く。板の上には草を敷いてから土を埋め戻す。

 

暗渠排水の構造

 

これにより、耕作の効率化さらには高品質化も進み収量も増加。

厚別川流域の広大な地域が水田となり、1932年白石村の一級町村施行時に白石村厚別川下と名付けられた。

やがて、この方式は全道へ普及していき、1941年6 月、北海道土工組合連合会から「暗渠排水発祥の地」と認定された。

 

今昔マップより

1950年代の地図では辺り一面水田。

1960年代の航空写真でも厚別川沿いに家屋が並ぶ以外は農地が広がっている。

1970年代の航空写真では線路北側は田んぼではなくなった模様。宅地工事中なのだろうか。さらに北へ行くと緑色の田んぼが広がっている。

この時に開発されたうちの一部は市営東川下団地として今もN棟・S棟が健在。

 

2.泥炭

北海道の開拓の歴史に大きな影響を及ぼした泥炭。

読んで字のごとく泥状の炭である。

見た目は何の変哲もない泥だが、可燃物。

主に気温の低い沼地で、植物の遺骸が完全に分解されないまま堆積し濃縮した状態。

 

泥炭で覆われた湿地を泥炭地といい、日本では北海道を中心とする北部に分布。

一方で熱帯にも泥炭は存在。高温多雨地域で地下水位の高い場所に有機物の遺骸が堆積してできる。東南アジアに多く見られ、膨大な温室効果ガスを蓄積している。

 

泥炭は可燃物ではあるが、含水量が多いため燃料としては質が低い。

第二次大戦末期の日本では貴重な燃料として使われた。

スコットランドではウイスキーの乾燥・香りづけに使われる。

ニッカウヰスキーが北海道に工場を置いたのも豊富な泥炭が一因であった。

腐植土・酸性の肥料としても使われる。

 

泥炭地は水分を多く含むためとても地盤が弱く、荷重や乾燥によって沈下したり崩れてしまう。また、その地によって構成している植物の種類も異なり性質は多様。