やよい公園からわずかに南西へ。
東北通に面した菊水児童会館に立ち寄る。
ここにも白石歴しるべの説明板が設置されている。
ここにあるのは日本近代酪農発祥の地とされる宇都宮牧場についての説明板。
牧場主の宇都宮仙太郎は大分出身で、真駒内牧場(後の種畜場)の実習生となった。
種畜場の運営に深く携わったエドウィン・ダンについて。
仙太郎は本格的に勉強するためアメリカへ留学。
帰国後、まずは現在の道立美術館付近でバターの製造を始める。
10年後、菊水1~3条付近でアメリカ式の牛舎やサイロのある牧場を開業。最大で80頭以上の乳牛を飼育した。
その後は、雪印乳業の前身となる北海道製酪販売組合を結成しバターの自主生産を始める。国内シェアは60%にも及び海外に輸出するまでになった。
1918年、定山渓鉄道の敷設で牧場の敷地が分断されると、敷地の一部を売却し上野幌に宇納牧場を設立。デンマークに留学していた娘婿の出納陽一を牧場主として、デンマーク式農法実験場の指定を受ける。
全国の青年が実習に参加し、バターやチーズの生産を行った。
1927年長男の勤は白石の牧場を売却し、上野幌に全面移転。
種牛の生産とバター・チーズの製造に勤めた。
現在は雪印種苗の敷地となっており、出納邸も残されている。