藻岩発電所からさらに南下。
次の目的地はエドウィン・ダン記念館。
公園の一角に設けられている記念館。
エドウィン・ダンは明治期の北海道の開拓に功績があったお雇い外国人。
建物は真駒内種畜産場事務所を移築したもの。
エドウィン・ダンは欧米式の近代農法や獣医学を中心とする農畜産を指導。
東京から札幌へと移って来る。
2000年に有形文化財に登録された。
建物の内部はダンの生涯を油絵と説明プレートで展示。
これらの絵は是非現地で見てほしい。
ダンは北海道農学校の設置、国道5号・36号の敷設、石狩缶詰所の建設に関与・提言を行ったケプロンとのつながりで来日。
真駒内の他に札幌に牧羊場、恵庭に牧馬場を建設することを提言している。
江別の農業と言えば町村牧場の町村家が有名だが、農学校を卒業後真駒内でダンに学び牧牛場の管理を任されたのが町村金弥。農学校時代は内村鑑三や廣井勇、新渡戸稲造と同期生であった。
その長男敬貴はアメリカの大学で農業を学び、帰国後現在の石狩市樽川、ついで江別の対雁に移転し町村農場を創業した。
恵庭で行っていた牧馬場の本拠地を新冠に移転。
今なお日高地方で競走馬の生産が盛んとなる礎となった。
道内の農業試験研究機関の中では最も古い歴史を引き継いでいる。
帰り際に先人カードをいただく。
ダンは日本人女性と結婚。
一度はアメリカへ帰国するも外交官として再来日。
その後は新潟県直江津の石油事業や当時の三菱造船に勤務し日本でその生涯を終える。
長男・次男も日本に帰化し團・壇という姓を名乗ったそうだ。
裏手の公園にあるダンの銅像と用水路。
これもダンの提言で建設され、家畜の飲料水や水車の動力などに使われた。
精進川との合流地点付近には平岸・白石方面の稲作地に水を供給する平岸用水も建設された。真駒内用水は間接的に灌漑用水の役割も持っていたことになる。
市街地化が進み平岸用水も埋め立てられたが、真駒内用水は周辺を公園・緑地として今も保存されている。
おまけ
国道453号をさらに進むと小さな標識。
ぶどう栽培にも携わっていたとのこと。まさしく総合プロデューサーのような人だったわけだ。