目次
1.帝国製麻琴似製線工場跡
新琴似から少し東側へ向かって麻生地区に移動。
目的地はかつて工場があった場所。
ここにあったのは帝国製麻琴似製線工場。
その名残となっているのは、道路に不自然に生えている一本の松の木。
明治時代、幕臣から新政府に任官した榎本武揚が北海道の開拓使長官であった黒田清隆に亜麻の種子を贈ったことが始まり。
1887年北海道製麻株式会社が発足。1891年新琴似番外地であった現在の麻生地区に製線工場が建設。屯田兵たちも契約終了による官給打切後、勤務するようになる。
この木が立っているのは工場跡ではなく、工場長の住宅跡。
工場の建物は現在の麻生球場付近にあったようだ。
2.麻生の沿革
今昔マップより
1916年の地図では麻から繊維を取る製線工場が確認できる。
なお、1907年には北海道製麻と日本製麻が合併し、新会社の帝国製麻が誕生している。
1950年の地図では丘珠方面へ向かう道路が整備された。
戦後は軍需の消滅により麻の需要も低迷。化学繊維の普及もあり1957年に工場閉鎖。
一方で1955年には琴似町が札幌市に併合、この時はまだ住所は新琴似。
1959年合併により帝国繊維が発足。
同年町名変更で麻生町が誕生。工場跡が住宅団地として開発されることとなり、地名について相談を受けた最後の工場長の案が採用されたらしい。
新しく麻生町の表記となったのは道道277号琴似栄町通・創成川通り・新琴似4番通に囲まれた三角形のエリア。
地図を見るとわかる通り、地下鉄麻生駅は範囲外。
とはいえ、住所が麻生の人以外であれば、この「麻生駅を中心としたエリア」という意味での「麻生」を使うことの方が多いだろう。
なお長らく番外地であったため、小中学校は存在せず、新琴似小中学校の校区内である。
上の今昔マップを見ると1960年代には開発が進み、住宅街と野球場ができている。
さらに新琴似駅へ向かう道路も整備され、札幌には珍しい五差路の交差点が誕生した。
ちなみに北海道各地で盛んに行われていた亜麻栽培は、麻生地区以外でも衰退。
1967年には道内での栽培が終了した。
札幌市内にもう一つ名残の場所があった。
数年前に閉鎖されたサッポロテイセンボウルというボウリング場・イベントホール。
北海道製麻本社・工場の敷地跡に建てられ、プロレス興行なども盛んに行われていた。
化学繊維の普及に伴い工場が閉鎖された後、従業員の再雇用先として作られる。
建物老朽化・再開発により閉鎖。一画は高層マンションになっている。