札幌史跡探訪 ― 北大周辺 ―

目次

 

1.永倉新八来訪の地

 

某月某日、自転車で札幌市北区方面を周ってみた。

札幌駅から北大に沿って北へ向かう。

 

最初に自転車を停めたのは北9条。

 

 

新選組二番隊組長だった永倉新八来訪の地の記念パネルが歩道に敷かれている。

新選組の旗が描かれている。

 

池田屋事件などで活躍、幕府瓦解後も北海道で樺戸集治監や東京牛込・そしてこの北大(当時は帝国大学農科大学)で剣術を教えていた。

 

ゴールデンカムイでも活躍。初出は3巻。

 

 

今調べて知ったが、NHK大河ドラマでは山口智充(ぐっさん)が演じた。

イメージとは全然違うね。

 

私的には新選組と言えば司馬遼太郎の「燃えよ剣

 

出番はあまり多くなかったかな。

 

元々は松前藩の出身。生地・育ちは江戸で剣術に明け暮れ18歳で脱藩。

嶋田魁と出会って近藤勇の道場である天然理心流・試衛館の食客となった。

近藤・土方らとともに京へ上り新選組結成。

剣においては新選組でも一、二を争う腕前を誇った。

鳥羽伏見の戦い後近藤らと袂を分かち、北関東で明治政府と戦う。

会津藩降伏後は松前藩に帰参。松前にも滞在後、小樽へ移る。

その後は東京、小樽と転居し1915年まで生き永らえた。

晩年は孫と映画を観に行くのが楽しみだったという。

 

2.札幌市電248号

続いて北24条のサンプラザホテルへ。

 

 

建物前の広場に、札幌市電の車両が保存されている。

行先は教育大学前。ちなみに教育大学前という停留場は今はなく、中央図書館前に変わっている。あいの里にある教育大学はかつて中央区にあったのだ。

 

周囲には色とりどりの花が咲くプランターが置かれていた。

 

60年の稼働を終えて引退した248号。

その車両がクラウドファンディングによって、かつて市電の幌北車庫があった北24条に帰ってきたのだった。

 

今昔マップより

1960年代の航空写真では車庫の南側に車両が見える。

すぐ東側の道路を市電が走っていたようだ。

 

北24条を通っていたのは鉄北線。

札幌駅前 - (←北5条線に合流) - 北大正門前 - 北大病院前 - 北17条 - 北21条 - 北24条 - 北27条 - 北30条 - 北33条 - 北37条 - 麻生町 - 新琴似駅

1963年 北27条 - 麻生町間を非電化路線として開業。全国でも珍しい「路面ディーゼルカー」しか走れない区間となった。

1971年 札幌駅前 - 北24条間廃止。同日の地下鉄南北線開業に伴う。

1974年 全線廃止。地下鉄南北線 北24条 - 麻生間の開業は1978年。

 

3.札幌飛行場

サンプラザから北24条通りを西へ向かう。

次の目的地はここ。

 

 

札幌飛行場の正門跡が残っている。

 

かつては道内で唯一東京への定期航路のあった札幌飛行場

1927年北海タイムスが市有地に飛行場を造成。整備が進められ1933年、道内初の国立飛行場となった。

1938年丸井今井百貨店の屋上に航空灯台が設置される。

戦争中は軍用となり、敗戦後に航空機と共に焼却された。

 

風雪の門

プロペラにパイロットの顔があしらわれた彫刻。

 

滑空するプロペラ機が描かれている。

 

 

今昔マップより

右上、1945~50年の航空地図では管制塔らしき建物や滑走路も見える。

1950~1952年の地図では何もない原野として記されている。