目次
1.藻南橋
某月某日、自転車で南区をちらっと巡る。
豊平川沿いのサイクリングロードから真駒内公園を通ってさらに南へ。
藻南公園で東へ進路を変える。
藻南橋でちょっとストップして豊平川を望む。
木の茂る左岸に比べ、切り立った断崖が目立つ右岸。
藻南公園はかつて南区に幾つかあった札幌軟石の採掘場の一つであった。
札幌軟石は数万年前の支笏火山噴火で発生した溶岩流が冷却されて固まった岩石。
火砕流はここまで流れてきていたのだ。
荒々しい岩肌がよく見える場所だ。
2.札幌軟石ひろば
川を渡って先に進むともう一つ札幌軟石にまつわる場所があった。
道路に沿って細長く作られた札幌軟石ひろば。
ここは実際に軟石を切り出していた初期の切羽跡が残っている場所だ。
軟石の切り出し作業も掲示されている。
最初は石につるはしで溝を打ち込む堀切。
石工が最初に覚える仕事でもあった。
現場づくりは石が凍って作業ができない冬の間。表面の土や木を取り除き、上部のやわすぎて使えない石を取り除いてからでないと作業が開始できなかった。
溝ができたらハンマーで金矢を打ち込むつるうち。
石を浮かせる割出しをおこなった。
岩盤から石を割り出した後はサイズを整える小割。
サイズはおおよそ決まっており、かなり経験を積まないと綺麗にできなかったようだ。
堀切用と野取用はちがうツルを利用していたらしい。
形を整え、出っ張っているところを整えるのが野取。角が欠けると商品にならなかったそうだ。
明治初期にお雇い外国人のアンチセル、ワーフィールドが発見した札幌軟石。
火災に強いため明治大正期の町造りに大いに貢献した。
しかし、1950年の建築基準法の改正で石造建築に制限がかかり、需要が減少。
住宅街の発展で粉塵被害も無視できなくなり、1970年代に石山地区の採掘は終了。
軟石を運んでいたのは主に馬車。1910年には現在の石山通りに馬車鉄道が開業
札幌市中心部に一度集積された石材はその後北海道各地へ運ばれた。
馬車鉄道は少数ながら旅客も取扱、冬季は馬そりで運搬していた。
1918年に路面電車切り替えのため、軌道を撤去。市街地に敷かれた路線は札幌市電へと引き継がれることになる。
今昔マップより1916年の地図
現在の川沿12~13条付近に馬車鐡道と記されている。
恐らく黒い1本線が軌道。道路沿いから少し離れ現在の石山大橋付近で豊平川の右岸へ渡り、石山緑地方面へ繋がっているようだ。
軌道を復元したもの。
広場は札幌軟石を使ったテーブルや休憩コーナー・門に迷路が設置され、屋外博物館の機能も持った公園として綺麗に管理されている。