目次
1.真駒内第一公園
真駒内の公園にある史跡を色々辿ってきたが、とりあえず今回はここで最後。
真駒内第一公園にやって来た。
あまり大きくはないが、いくつかの記念碑や標識が集まっている公園。
前回まで辿ってきた標識で、真駒内の開基には種畜場が大きく携わってきたことを調べてきた。その種畜場が開拓使・道庁の組織改編に伴って仕組が変わってきた頃、また別な動きが生じてきた。
これまで北海道のような寒冷地には向かないとされてきた稲作が奨励される方針に転換したのである。これを受けて1893年、上白石とこの真駒内に稲作試験場が設置された。
約10年に及び真駒内用水から引いた水で水田を作らせたそうだ。
この他にも各業態の試験場があったがその後農事試験場と名を変え、より総合的な技術開発や普及に努めるようになる。場所も移転・統合を繰り返していた。
上白石と真駒内の試験場は1902年で廃止。一定の成果があったのだろうか。
続いて2つ並んだ石碑。
一つ目は馬魂碑。
1899年に建立。野犬や狼に殺されたり、落雷などで焼死した馬、豚、羊の霊を祀っているそうだ。
隣は獣魂碑。こちらは1947年建立。種畜場敷地が米軍に接収され、家畜を道内各地に移すこととなった際、食糧不足などもあって命を落とした動物が多かったことからその霊を祀ることとなった。
1936年建立、1961年にこの地に移設。
明治天皇が1881年に牧牛場へ行幸、現況を視察したことを記念して建てられた。
昭和になってから建てられた理由は不明。
こっちは昭和天皇の行幸記念碑。1936年に北海道庁の種畜場視察を視察、1938年に建立され米軍駐留時にここに移設された。
昭和天皇は即位前にも種畜場を訪れていた。
その時に水松(いちい)を手植えされたそうです。
北海道はオンコと呼びますね。
この他にも真駒内開基百年記念碑、真駒内種畜場跡(碑と像)、大正天皇視察を記念した大典碑などがあったのだが、写真を撮り忘れた。
移設されたものも含めて色んな時代の色んな碑が建っている。
そのルーツを調べると種畜場に行きつくものが殆どなので、この地だけでなく少なくとも北海道の農業にとって、かなり影響の大きい施設だったであろうことが伺える。
クラーク博士ばかりが有名だが、エドウィン・ダンももっともっと推して良い人物ではないだろうか。
先人カードはまだ配布中のようなのでぜひ記念館にも足を運んでみたらいかがでしょう。密になるほど人は来ないと思うので、、コロナ対策をきちんとできる人は大丈夫だと思うのですが。。。
2.真駒内神社
さて、この公園になぜこのような石碑が集合したのかというと、
神社がある。というより神社のあった場所が公園になったのである。
本殿手前、広場の中に鳥居がポツン。
そして写真左側、木々に隠れるようにしてもう一つ鳥居がある。
ここは公園の出入り口なのだが、何となくシュールな画に見える。
神社の由来は種畜場が祀った馬魂碑・獣魂碑が発端。
その後昭和になってから正式に神社となったというわけですな。
今昔マップを見てみよう。
1935年の地図では神社の記号が記されている。
1945~50年の米軍接収後の航空写真では建物に囲まれたこの一角だけが広場として残されている。
1974~78年の写真では周りは住宅街に変わり、おそらく既に公園として整備されているようだ。名前からすると真駒内地区で戦後最初に整備された公園なのかもしれない。
3.馬の渡し渡船場跡
真駒内第一公園から少し北へ進んで豊平川の河川敷までやって来た。
ここにも史跡を示す標識を発見。
まずは一つ目の標識。ここは1910年頃~1934年までにあった渡船場跡。
2つ目は藻岩橋の袂にある標識。
こちらの標識は上の標識の先代にあたる渡船場跡について記したもの。
真駒内の牧牛場や石山の採石場への馬車道のルートにあった豊平川の馬の渡し。
その渡船場跡を記したものである。
このルートは対岸のみゆき通りとも関わってくる話の模様。長くなるのでまた次回。