家族旅行 ― ラベンダー畑駅 ―

目次

 

1.ラベンダー畑駅

富良野駅からノロッコ号に乗って北へ進む。

富良野駅の様子はこちら。

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列車は美瑛駅まで走るが、我々は途中のラベンダー畑駅で降車。

 

 

6月~8月までのみ開業する臨時駅。

ホームは鉄パイプと板張りで組まれている。

毎年時期が来ると架設、終わると撤去を繰り返す駅。道内ではここだけだろう。

 

簡易待合室もある。日よけ・雨よけは可能だがはいれる人数は少ない。

周囲は畑が広がる。

以前は木製アーチもあったようだが、今年はなかった。

 

1999年、ラベンダー観光に訪れる旅客用の臨時駅として開業。

当初は現在と同じく富良野・美瑛ノロッコ号のみ利用されていたが、一部の定期列車が停車していた時期もあった。

 

ここから数分歩くとファーム富田へ。

 

2.ファーム富田

いわずとしれたラベンダーのメッカ、ファーム富田。

 

 

富良野の開拓初期からこの地に鍬を下ろしていた富田家。

戦前に化粧品の原料としてフランスから輸入されていたラベンダーの栽培が中富良野で始まったのは、戦後から数年経った1952年。

1958年 富田家でもラベンダー栽培が始まった。

1970年 富良野地方でラベンダー栽培・オイル製造のピークを迎える。

1972年 合成香料の進化によりラベンダーオイルの需要が急減。1973年にラベンダーを栽培しているのは富良野地方だけとなった。

富田家は稲作で生計を立てながら、ラベンダー畑を守る方法を模索。

1976年国鉄のカレンダーにラベンダー畑が採用され、全国にその名が知れ渡る。

 

1980年代ラベンダーオイルの蒸留に成功し、オリジナルの香水や石鹼の販売を始める。

ラベンダー他花卉・ハーブに特化。6次産業化へ。

 

いつの頃からか富良野にとどまらず、北海道を代表する観光名所へ。

 

コロナ前、ラベンダーの時期は海外の観光客も多数いた。

付近の道路は車の行列。駐車場は無料だが、時間に余裕があればノロッコ号で訪れるのも楽しいよ。

 

ラベンダーは環境を整えてやれば30年以上生きるらしい。

 

刈り取り作業も専用機は国内にないので、海外を視察して購入したそうだ。

ドライフラワーの製造やオイルの蒸留など手作業も多い。

長年かけて、消えかけたラベンダー栽培から地域を担う産業を育ててきた。

 

ラベンダーはシソ科に分類される。

シソ科は草だけでなくラベンダーのような低木も含む。

品種は数多く、原産地は地中海沿岸・中東・インドなど。

古代より人間に使用されてきた。1930年頃からフランスで栽培が盛んになる。

高温多湿が苦手な種が多い。日本での栽培発祥の地は札幌市南沢にある。

 

 

 

www.farm-tomita.co.jp

 

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