札幌史跡探訪 ― 北海道神宮 ―

目次

 

 

1.北海道神宮

さて、いよいよ北海道神宮にやって来た。

 

 

広く長い参道。

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初詣だと人でいっぱいだが、このくらいの方が雰囲気が良いね。

 

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左手にあるのが手水舎。さらに奥には島義勇の像がある。

社務所は右手側。

階段を上った先にあるのが神門。

 

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祭神は国土の神霊である大國魂神(おおくにたまのかみ)、国造りの神である大那牟遅神おおなむちのかみ、大国主命〈おおくにぬしのみこと〉の別名)、国造りの協力神である少彦名神(すくなひこなのかみ)の開拓三神

そして1964年に明治天皇を増祀。現在に至る。

 

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拝殿。1988年に改修され現在の姿となる。

 

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境内の案内図。

2.北海道神宮の歴史

江戸時代より石狩地域に大社を立てる構想はあったらしい。

明治になり北海道の開拓が始まるのに合わせて明治天皇は北海道鎮護の神を祭祀するよう発令。1869年に島義勇開拓使代理として官舎ができたばかりの札幌へ三神鏡を携えてやって来た。

島義勇創成川河畔に仮社殿を建立。

1871年札幌神社と命名

 

1852年から蝦夷地へ流れてきた早山清太郎はそれまで篠路の開拓に従事していたが、島義勇と知り合い、本殿となる位置の選定に協力。

そして結論が三方を山に囲まれた円山の丘であった。

札幌神社の命名時に社殿完成。数か月後に遷宮。現在の位置へと移された。

当時の円山はまだ道路も未整備の山奥で参拝するための道路整備もままならなかったようだ。

 

1878年、現在の南2条東3丁目に後の頓宮となる遥拝所を設立。

1889年、伊勢神宮式年遷宮時に外宮正殿を札幌神社へ移築。

 

第二次大戦後神社本庁別表神社となる。

1964年北海道神宮に改称。

 

今昔マップを見てみよう。

1916年の地図では円山はまだ圓山という表記。

宮の森も十二軒という地名。円山公園沿いの現在の北一条通にあたる部分は神社通と記載されていた。第一鳥居から東側はその先と道路が繋がっていない。川が流れる湿地帯でもあったのか、空白の土地がありその後道路が繋がった際にはズレを調整するため斜めの道路となっている。

 

第一鳥居の西側から見た北一条通り。鳥居の先の交差点で右に曲がっている。 

 

始点の北一条西4丁目には北海道神宮の今も石碑が建てられている。

 

一方で、現在の南一条は一條通と記されている。

この通りと創成川の交点が札幌の町づくりの起点になったわけで、今の市中心部において最も歴史の古い大きな通りと言えるだろう。

現在の北一条通りが開削されるまではこの道が参道であったようだ。

 

現在西20丁目~西24丁目は裏参道と呼ばれ、小洒落た店が並ぶエリアとなった。

1916年の地図ではまだ畑地が広がるばかり。

ちなみにこの南一条通りも円山方面と札幌中心部方面で道路を繋ぐ際に食い違いが生じ斜めの道で調整している。

 

しかし1923年札幌市電が延伸されたときに斜めの道を通らず直進して直角に曲がるという軌道となった。

現在の道路もこれに準じているが斜め通りも残っている。

 

そんなことも西20丁目以西の町並みが少し違う雰囲気になっている理由かもしれない。

 

ちなみに両方向から道路が伸びてきたのは当時円山地区は円山町という札幌とは別の町だったため。互いの中心部から徐々に道路が伸びてきたが、道をつなげる計画はなかったため、ずれが生じてしまうこととなった。