札幌史跡探訪 ― 岩村通俊 ―

目次

 

 

1.岩村通俊像

いったん北一条通に出て公園沿いに東へ進む。

森の中にある一体の銅像を見つけてちょっと寄り道。

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背の高い立派な像。ポーズも決まっている。

 

その名は岩村通俊。

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土佐藩出身で島義勇の跡を継いで開拓判官となる。

札幌の町並みを造る工事を行い、すすきのに遊郭を設置した。

佐賀・鹿児島・沖縄の県令を歴任した後北海道庁の設置を進言。

初代長官として着任。

 

1886年1888年までの3年間で上川開拓、工場・農場の民間への払い下げ、移民の直接保護から資本誘致への切り替え、その為の測量・地質調査などインフラの整備や充実に努め大きな功績を残した。

 

具体的な事業は以下の通り。

 

根室・函館・札幌の三県と開拓使を廃止し、行政のかじ取りは北海道に一本化。

 

この時払い下げられた工場には現在のサッポロビールとなる札幌麦酒醸造所も含まれている。払い下げを受けたのは大倉喜八郎。後の大倉財閥、現在の大成建設、帝国ホテル、ホテルオークラなどの企業群を作り上げた人物だ。

その後渋沢栄一浅野財閥を率いた浅野総一郎が参加し札幌麦酒株式会社が設立。

札幌麦酒の他には札幌製粉所、ビール醸造所の隣にあった札幌葡萄酒醸造所なども民間に払い下げられた。

 

また、現在の赤れんが庁舎である本庁舎の建設工事を着工。

さらに小樽市手宮三笠市の幌内・幾春別を結ぶ官営幌内鉄道を北海道炭礦鉄道に移管。空知炭田から産出した石炭の輸送及び旭川への鉄道開設などを行うこととなる。

 

土地についてはそれまでの制度を改め10万坪を超える大規模な払い下げを可能にした他、基線と直角に交わる基号線を定め碁盤目の区画に沿った町づくりを行い、図面上で土地の処分を可能とした。

 

 

 

札幌からさらに内陸へと進む北海道開拓の第二期ともいえる時期の根幹制度を作った人物と言えるだろう。赴任していた期間が短いからか、それほど有名ではないが実務能力にたけた人物だったと思われる。

長男の岩村八作は壮瞥町浦臼町北竜町などで開拓を行い生涯を北海道に捧げた。 

 

2.色々な碑 

円山公園にはいくつもの碑が建立されている。

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まずは庖丁塚。

 

調理師団体が建立し、使い終わった庖丁などの法要を行っているらしい。 

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もう季節が終わってしまっていたがそばにはアジサイも植えられている。

地質によって美しく変化する花と料理の技法を重ね合わせているそうだ。 

 

 

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続いては大典記念梅林碑。

 

 

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大正天皇即位の礼を記念して、梅林が植林されたことを記す碑である。 

 

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北海道は梅と桜が同じ時期に開花する。

円山公園はどちらも楽しむことができる札幌随一の花見の名所だ。 

 

次は吟魂碑。 

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台座はサイズ・カラーとも多種多様な石で組み立てられた、ちょっと珍しい雰囲気。

 

 

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次は門人桜植樹記念碑。

北海道正調追分節の須藤隆城先生の門人の方々が植樹を行った記念に建てられた様子。 

 

 

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最後は開拓三神鎮座から百年を記念する明治の森の碑。 

 

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整然と並んだ木々が生い茂っている。