札幌史跡探訪 ― 円山町界隈 ―

目次

  

 

1.藻岩村・円山町役場跡碑

円山公園を離れ、地下鉄円山公園付近にやって来た。

この辺りも少しふらふらしてみる。

最初にやって来たのは円山郵便局。

建物の手前にある説明板が目的だ。

 

 

 

アートチックなモニュメントに藻岩村/円山町役場跡と記されている。

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最初に置かれたのは明治43年(1910年)藻岩村役場。

円山果樹園の事務所を移築した建物だったらしい。

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昭和13年(1938年)円山町役場となる。

そのわずか3年後、円山町は札幌市と合併。役場は出張所となった。

 

そもそものこの辺りの歴史を辿っていくと、まず1870年に庚午三ノ村が発足。

翌年円山村と改称。

当時は戸長役場という名であった行政機関は代表として山鼻村に置かれていた。

1906年山鼻村と円山村が合併し藻岩村が発足。

1910年旧山鼻村の一部が札幌市に編入。役場のあった地域もその対象だったため移転。

移転先が上述の現郵便局の場所であった。

 

そして1938年一級町村施行の際に円山町と改称。

その3年後札幌市と合併し現在の豊平川左岸(円山~白川)は札幌市に吸収された。

 

今昔マップを見てみると。

1916年では役場を表す〇印。

1950年代は特に何もない。

1975年では寺が建っていて、1995~98年では再び何もない。すぐそばにある寺は移転したのだろうか。

郵便局もあちこちにいてんしているようだ。

 

2.開村記念碑と善徳翁碑

続いて近くにあるまちづくりセンターへ行ってみる。

ここには開村の記念碑が建っている。

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一部、木で隠れてしまった。圓山開村記念碑と記されている。

裏側には1870年に山形県の庄内から30戸が移住したのが始まり。その後の経緯を簡単に記しているようだ。

 

隣には善徳翁碑

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殆ど読めないが、円山の開拓に功績のあった上田善七を顕彰して建てられたそうだ。

学田の開墾や円山登山道開削などに中心となって働いたそうだ。

兄の上田万平も同様に円山の開拓に尽くし、札幌伏見稲荷神社に碑が建てられているらしい。

 

3.小川直吉頌徳碑

最後は地下鉄西18丁目駅近くまで進む。

ここには小川直吉なる人の頌徳碑が建てられていた。

 

 

碑は老人ホームの敷地内にある。

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門の外から失礼して1枚撮影。

花が艶やかに咲いている。

 

再び今昔マップ

1916年の地図だとここには病院があったようだ。

この辺りは札幌の町外れ、家はまばらな地域。

どうやら伝染病対応の病院があったらしい。さらに行旅人(身寄りのない人)の病院もあったようだが、ここを運営していたのが小川直吉という人。

とにかく困っている人を助けていた人の様で、札幌市からも一目置かれていたようだ。

病人の世話だけでなく、自分の家に住まわせたり就職の世話も行っていたらしい。

 

現在もこの一画には視聴覚障がい者情報センターや札幌社会福祉総合センターなどが建っている。札幌市の福祉事業の道のりを開いた人物ゆかりの地の痕跡だ。