札幌史跡探訪 ― 中島公園その1 ―

目次

 

 

1.中島公園の概要

某月某日、この日は中島公園に行ってみる。

 

繁華街薄野の南側にある、総合公園。

都心にありながら、大きな面積で訪れる人もかなり多い公園だ。

 

明治時代、この辺りは豊平川の分流である小川が数多く流れる場所だった。

唯一今も残る鴨々川と豊平川の間の地域を字鴨々中島と呼び、当初は山鼻村の区画であった。

この頃創成川東地区には札幌市建設のため工作所があった。

中島にある池は貯木場となり、四角い堀を二つ並べた形になった。この工事を請け負った鈴木元右衛門にちなんで元右衛門堀と名付けられた。

1883年、ヤナギやニレなど樹木の多いこの地を公園とすることと決定。

山鼻村から札幌区に編入され中島遊園地と命名

公園だけでなく、集会を催すための用地も確保された。

1887年に北海道博物陳列場が設置。

元右衛門堀の南側には競馬場ができた。

花火大会も開催されるようになり、花園も造営される。

 

現在のパークホテルの位置には1899年困窮家庭の子女のために幌南学校が設立。

1908年札幌区立女子職業学校(後の札幌東高校)となった。

 

1907年、正式に公園としての設計を行い1910年中島公園に改称。

この頃、コースの延長などが必要となり、競馬場は現在の札幌競馬場の位置に移転。

 

1918年開道五十年記念北海道博覧会が行われた。

1928年にはNHKのラジオ放送局が開局。

 

今昔マップを参照。

1916年・35年の地図では元右衛門堀の当時の形がよくわかる。

戦時中は軍の施設も設置されていた。

 

1946年札幌文化専門学院(後の札幌学院大学)が設置。

1949年中島球場、中島児童会館が完成。

1953年札幌東高校が現在地に移転。

1957年豊平館が移設。

 

1958年北海道博覧会が開催。

天文館はこの時の天文台パピリオンである。

 

1959年NHKが現在の大通西1に移転。 

1963年日本庭園完成。元右衛門堀も現在の菖蒲池の姿となる。

1968年札幌学院大学が現在地に移転。

1971年八窓庵移築。

1976年子供人形劇場こぐま座開演。

 

1980年野球場閉鎖。

1995年北海道立文学館開館

1997年コンサートホールKitara オープン。

 

2.イチョウ並木と菖蒲池

地下鉄中島公園駅から出てくると、まずはイチョウ並木がお出迎え。

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1918年に行われた開道50年記念博覧会に植栽された。

紅葉の時期には黄色い落ち葉で埋め尽くされる。

 

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イチョウ並木を抜けると菖蒲池。

コロナがなければ貸しボートも営業している。

 

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菖蒲池の周りにはヤナギ系の樹木が多く植えられている。

 

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といっても、見る目も知識もない自分にとってはシダレヤナギほど特徴的な木じゃなければ、どれがヤナギ科なんてのはわかりませんが。
 

池を左手に進んで行くと、藤棚。

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その手前には

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四翁表功之碑とある。

 

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説明文は文字が薄れて判読できない。

札幌の開拓に尽力した水原寅蔵、大岡助右衛門、石川正叟、対馬嘉三郎を称えた碑であるそうだ。