目次
1.樺太開拓記念碑
第三鳥居をくぐって北海道神宮の境内へ進んで行く。
林の中の涼しげな道をどんどん進んで行く。
最初に何かの記念碑を見つけたので立ち寄る。
斜めになってしまったが樺太開拓記念碑とある。
裏側には長い碑文が刻まれていた。
日本とロシア・ソ連との間で翻弄された樺太の歴史が記されているそうだ。
大まかな歴史でいうと1875年千島樺太交換条約でロシアの主権に。
樺太にあった大泊中学校・大泊高等女学校の同窓会解散記念樹も植えられていた。
稚内に行ったときに副港市場で稚内港と樺太の鉄道のギャラリーを見たことを思い出す。いつか樺太の歴史もまとめて調べてみよう。
2.開拓神社
続けて参道を進んで行く。
隣にあったのは開拓神社。
1938年北海道開拓70周年の際に、功労者をしのんで創建された神社である。
ご祭神は伊能忠敬、近藤重蔵、松浦武四郎、間宮林蔵、最上徳内など初期の探検家や、岩村通俊、黒田清隆、島義勇、永山武四郎など明治期の政治家など合計37名。
司馬遼太郎の小説 菜の花の沖 の主人公、高田屋嘉兵衛の名前もあった。
神社にはあまり詳しくないが、拝殿は結構立派なので北海道神宮に参拝するのならこちらもお勧めである。
3.鑛霊神社
その隣は鑛霊神社。
開拓期に北海道を支えた石炭をはじめとする鉱山の仕事に従事し、命を落とした人々への慰霊のため建設。1949年にこの場所に遷座してきた。
大木の陰で静かに佇む拝殿。
4.穂多木神社
3つ並ぶ境内末社のうち、最も西側にあるのが穂多木神社。
北海道拓殖銀行、通称たくぎんに功労のあった役職員を祀るため、1938年本店屋上に建立された。
設立当初は北海道開拓を支援することが目的。特殊銀行の位置づけであったが北海道経済の八手に伴い事業を拡大。
戦後のGHQの指導で1950年に普通銀行に転換。
同年この地に遷座された。
こちらも緑の中に慎ましやかに佇む拝殿。
都市銀行として北海道経済を支えてきたが、バブル崩壊の影響が大きく、1997年経営破綻。山一證券と共にバブルで破綻した金融機関の象徴として歴史に名を残してしまった。都市銀行としては最も規模が小さく、バブル期には身の丈を超える経営を積極的に進めてきたのが仇となった。