北大探検 ― 偕楽園と清華亭 ―

目次

 

1.偕楽園

某月某日、天気が良いので出かけることに。

この日は北大を探検してみる。

まずは北大のちょっと南側にある偕楽園緑地という小さな公園へ。

 

 

近代的なオフィスビル群から少し外れたところ、住宅や企業が混在するようなエリア。

 

道路より少し低く、階段を下って公園に降りていく。

 

元々は1871年開拓使によって設置された公園。

明治4年の頃、札幌市外の北端は現在鉄道が通っている辺り。

この辺りはまだ郊外の扱いだった。

原生林と湧水池をベースに開拓使長官の岩村通俊がここに日本で最初の都市公園を設置。もっとも現在の公園から連想されるような市民の憩いの場というよりは、北大に連なる産業施設の設置に重きを置いていたようだ。

 

大きめの石が非規則的に並んでいる。池だったのかな~と思わせる場所。

 

実はブラタモリでもこの公園を訪れている。

 

元々は公園全体が深い池。タモリは今の公園内にある曲がりくねった道は暗渠かなーとつぶやきながら歩いていた。

自分は気づかなかったが、ブラタモリでは公園内の木製の祠と井頭竜神と書かれた石碑をチェック。井戸の頭と水の神様である竜神を示し、ここが遊水地であった痕跡となっている。

実際にヌプサプメムと呼ばれる大きな遊水地があったそうだ。

(メムはアイヌ語で湧き水の意)

 

2.石川啄木の歌碑

公園内には歌人石川啄木の歌を刻んだ石碑が立っていた。

 

石川啄木の写真と肖像画も。

啄木がやって来たのは1907年。偕楽園にあった施設や記念碑は既に中島公園や大通りなどに移築されていた。

 

啄木が札幌に滞在していたのは2週間ほどだったようだ。

その時に下宿していた場所がこの近くだったらしい。

 

今昔マップより1916年の地図

 

 

 

3.清華亭

公園を出ると、説明板のある古い建物が建っている。

札幌市の有形文化財である清華亭。

偕楽亭のほとりに佇む接待所として建てられた。

明治天皇行幸の際に休息したそうだ。

 

 

ここまでくると北大はすぐそば。

 

農業・工業試験場、育種場、競馬場、植物園の下となった栽培所、鮭孵化場など数多くあった建物・施設の中で唯一この地に残っているのが清華亭だ。

 

洋室棟と和室棟からなる和洋折衷の様式。外観は全体に洋風棟飾りをつけるなど洋風で統一されている。

 

内部は洋室にも床の間を設けるなど和風化を意識しているらしい。

残念ながら今は工事中で立入禁止。基本的には無料で見学できるようだ。

 

建物の横を通る遊歩道。ここも暗渠になっているらしい。その先は北大に通じている。