沿岸ドライブ ― 星置駅 ―

目次

 

1.星置

最後の寄り道は星置駅。

 

国道5号線から北へ向かう下り道に入って間もなくすると星置駅南口のロータリー。

 

ここに車を停めて駅に向かう。

フードのついた通路。雪が溜まらないように円形の屋根なのだろう。

星置駅と書かれた建物が僅かに見える。

 

自由通路から線路を眺める。線路は崖下に敷かれており、南口からは階段を下りて駅舎に入ることになる。

 

小樽方面。向かって左手、木が茂っている辺りは崖状になっている。右手の平地が星置の市街。

 

今回は行かなかったが、北口側。こちらもロータリーがある。

 

建物は3階建てに見えるが、最上階が南口の自由通路とほぼ同じ高さ。

タモリが好きそうな「へり」に駅舎が建てられた。まあ鉄道が勾配を避けて崖下を通るのはよくあることだろう。

星置駅は2面2線の橋上駅。

 

2.星置駅の歴史

1923年星置仮信号場が設置されたそうだが、その後廃止。廃止年は不明。

1985年国鉄の旅客駅として開業。住宅地が多く、現在まで一定の利用数をキープしている。

駅名は地名由来。その意味は諸説あり、アイヌ語で崖の下を示すペシポキが語源ともされるが、定かではないようだ。

自転車を押して登れる自由通路はなかなかの高低差。スロープがつづら折りになっている。2009年にエレベーターが設置された。

 

3.駅周辺について

札幌市のHPによると線路沿いに延びる崖は縄文海進による海食崖の跡。

駅の辺りは波打ち際だったわけだ。

www.city.sapporo.jp

 

地理院地図の色別標高図

 

星置駅の東西は崖に沿って鉄道が走っているのがわかる。

駅の南側は星置川の扇状地

札幌市内の扇状地では最も標高が低く、最も海岸に近いそうだ。

 

時代は下って幕末の1857年に初めて和人が住み着く。銭函から千歳へ至る札幌越新道が開削された。

明治維新後の1882年、現在の手稲山口に山口県人が入植。

山口、上手稲、下手稲の三村を設置。

1884年広島県佐伯郡から星置に約20戸が入植。

1902年には三村が合併し、手稲村が発足。

山口村は大字として地名が残った。

 

今昔マップより1916年の星置

 国道と鉄道以外は農地が広がるのみ。

 

1935年

駅付近は様子が変わらない。

星置の滝付近に滝ノ沢温泉の表記がある。

ラジウム温泉があったそうだが、手稲鉱山によって病院に変わったそうだ。 

 

1942年大字山口村が山口・星置に改編。

 

1980年代の航空写真

住宅街がかなり広がってきたが、まだまだ農地も多い。

 

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