東京旅行 ― 拝島駅 ―

目次

 

1.拝島駅

最終日早朝。この日は帰宅するだけで予定はない。

早起きしたのでちょっとだけ乗り鉄行為を楽しむことにする。

立川駅から青梅線に乗って西へ向かう。

すいている車内で揺られること10数分。数駅通り過ぎて拝島駅で降車。

この駅は昭島市福生駅にまたがるように設置されており、青梅線五日市線八高線の分岐駅。さらに西武拝島線も乗り入れているターミナル駅だ。

 

駅舎の南口が昭島市、北口は福生市に属する。

南口には昭島くじらをえがいたステンドグラス。

 

約200万年前浅い海の底だった昭島市で発見された鯨の化石。

1961年に小学校の先生とその息子が多摩川の河川敷で発見したそうだ。

10mを超える化石の発掘作業はやがて市を挙げての取り組みになった。非常にもろくなっていたため作業をは慎重を極め、復元まで1年を要したという。

当時はコンクリート材として砂利が採掘され200万年前の地層が露出した状態。化石の発掘後の大雨で河川敷は浸水しており、もう少し作業が遅れていたら流出して2度とお目にかかることができなかったろう。

 

北口側は福生たなばたのステンドグラス。

戦後まもなく始まったお祭りで、七夕祭りとしては都内でも有数の規模を誇る。

 

JR東日本の駅としては3面5線、西武鉄道は1面2線。

橋上駅舎でJR東日本西武鉄道の乗り換えにはそれぞれの改札を経由する。

 

この北口広場のさらに北側にはJR貨物横田基地線が通っている。

非電化の単線。

神奈川県の鶴見貯油場から燃料を運んでいる。

 

 

線路の行先はここ。構外の線路も横田基地の所有物となっている。

拝島駅青梅線から分岐し、西武線と平面交差して北へ向かうルート。

 

2.拝島駅の沿革

1894年後の青梅線となる青梅鉄道の駅として開業。旅客貨物共に取扱。

1930年五日市鉄道、1931年五日市鉄道が開通。

当時から拝島という駅名がついていたが、この地名はかなり歴史が古い。

西暦952年の洪水で奥多摩にあった大日如来像がこの地にあった中州に流れ着き、そこにお堂を建てて村人が拝んだことが拝島の由来だそうだ。

 

今昔マップより1930年前後の拝島駅付近。

周囲は農地が大半だが、駅の南東で路線が分岐している。

この時はもちろん米軍ではなく日本陸軍の施設。熊川燃料倉庫専用線だった。

賑わっているのは拝島駅付近ではなく熊川駅と南北に延びる奥多摩街道沿線のようだ。

 

1960年代。国道16号が整備され西武鉄道も開通。

駅周辺は一躍活気を増している。