目次
1.日光橋
拝島駅の北側を少し歩いてみる。
川が流れており、橋を渡ろうとすると説明板があった。
橋の名は日光橋。
桜の木が並ぶ、小さな橋。欄干は石造り。
日光橋は明治中頃の1891年に建造された。
当時としては近代的な技術であったレンガアーチを用いている。
戦後両サイドを拡幅したが、元の橋は取り壊さずにそのまま。国内で現存するレンガアーチの道路橋としては最古のものと言われている。
フェンスの向こうからから橋を眺める。
よーく見てみるとレンガ造りの部分が見えているような。
日光橋の名前の由来はこの道が日光街道であったから。
江戸時代に八王子から日光までの往還(五街道以外の主要街道)として定められた。
江戸から日光までの日光街道と区別するために八王子街道、千人同心街道などとも呼ばれた。八王子千人同心がスムーズに軍務交代できるよう整備された街道だ。
拝島は八王子からスタートすると最初の宿場町だった。
2.玉川上水
日光橋が架っているのは玉川上水。
江戸時代に建設された上水道だ。
3代将軍家光の時代になると江戸の人口がかなり増え、水不足が深刻になる。
幕府は新しい上水建設工事を計画。請け負ったのは庄右衛門、清右衛門の兄弟。
浸透性の高い関東ローム層(水喰土)や岩盤が原因だった。
そして1653年羽村から新宿の四谷に至る42.74kmの上水が完成した。
取水口となった羽村には投渡木(なぎ)と呼ばれる丸太を横に渡し、さらに細い丸太や木の枝・砂利を加えて造った投渡堰が今も残る。
ここから四谷までの高低差は約92m。100mでは平均して約21cmしかない。
緻密な測量によって距離が長く緩やかな勾配の水路を掘ることに成功したのだ。
玉川上水は武蔵野台地の最上面を流れているため、多くの分水を生み出した。
江戸市街だけでなく、途中の村々へ排水が可能となり、水不足で人口の少なかった武蔵野台地の開発に大きく貢献した。
新しく開かれた地域は街道や分水に沿って長方形に土地を区切られている。
3.国立音楽大学
車窓から見る風景は、住宅街だが農地も多い。家屋と田畑がまだらに並ぶ様子は北海道ではなかなか見ることがない景色だ。
玉川上水駅で下車。
ここは多摩モノレールとの分岐駅になっている。
すぐそばには国立音楽大学がある。
こくりつ ではなくて くにたち
私立大学である。
約100年前に開校した歴史ある音大だ。
1978年に現在地に移転。
近くにあった東大和市のマンホール
村山下貯水池取水塔と市の花であるツツジが描かれている。
こちらはツツジオンリー。
ここで旅はおしまい。
ホテルに戻って家族と合流。
電車と飛行機を乗り継ぎ、北海道のわが家へ帰宅。
なかなか訪れることのなさそうなエリアを周れて面白かった。
あまり名物を食べられなかったことだけが残念。