東京旅行 ― 立川駅 ―

目次

 

1.立川駅

多摩動物公園を出て多摩都市モノレールでホテルへ向かう。

宿泊するのは立川駅近くのホテル。

 

立川駅立川市の中心駅かつ多摩地方最大のターミナル駅

JR東日本中央本線青梅線南武線の乗り入れ駅だ。

中央本線は大月・甲府方面列車の東端、青梅線は起点、南武線は終着と各路線において重要駅である。

ホーム構造は島式ホーム4面8線。さらに貨物線・留置線・引き上げ線も有している。

 

立川駅の配線図。図の上側が南。

 

まさに鉄道の要衝であることを示す配線図である。

 

立川駅周辺は東京でも有数の繁華街。北口側は2階部分にペデストリアンデッキが整備され、商業施設や多摩都市モノレールに直結。近代的な造りになっている。

一方南口は居酒屋が並ぶ繁華街。

 

 

東・西は住宅街になっている。

立川駅西側。北海道ではこれだけ幅のある鉄道用地に近づくことは難しい。

 

西立川駅へ向かって歩いていくと、残堀川を横切る。

江戸時代には玉川上水と連結、幾度となく流路変更が行われたそうだ。

 

2.立川駅の歴史

立川駅は1889年甲武鉄道の駅として開業。新宿~当駅間が開通。同年当駅~八王子間も開業。

1894年 青梅鉄道当駅~青梅駅開業。

1906年 甲武鉄道国有化。

今昔マップより。1906年測図。駅北には原市場と書かれている。

駅前以外はあまり人家が見られない。桑畑が多いようだ。

駅の南西、多摩川近くに人家が多い。

この辺りは中世に立川氏の居館があった。跡地は現在まで普済寺の敷地となっている。

江戸時代は宿場町の性質があったようだ。

 

再び今昔マップ。

北口に建物が増え、市街化。乗降口は北口にしかなかったようだ。

駅南西に原蚕種製造所ができている。

 

1930年頃の立川駅周辺。

1922年駅北西に立川飛行場が設置。関東大震災の被害民の移転も相まって、人口は急増。

1929年 南部鉄道当駅~分倍河原駅開業。南口も開業。

1930年 五日市鉄道当駅~拝島駅開業

 

戦時中は軍需産業が拡大。

終戦後は米軍が飛行場を接収。その後陸上自衛隊の駐屯地となり、その一部は国営昭和記念公園となった。

 

3.青梅短絡線

立川駅西立川駅間には青梅短絡線が通っている。

立川南通りの北側を南にカーブしながら、住宅街を突っ切っている。

 

まるで地方ローカル線のようなこの単線は1931年に開通し、奥多摩で採掘した石灰石の運送に使用していた。

中央線と平面交差せずダイヤに影響させないために設置された。現在は青梅線直通列車や安善駅~拝島駅間の貨物輸送に利用されている。

 

4.西立川駅

西立川駅に到着

1930年青梅電気鉄道西立川停留所として開業。1931年南武鉄道貨物支線の西立川駅が開業し、後年合併。

1971年貨物取扱中止。

橋上駅舎で1面2線のホームと側線を持つ。昭和記念公園の最寄り駅。

 

1940年代と60年代で周囲の様子が著しく変わっている。