道北をいっぱい巡った。 ― 抜海駅 ―

目次

 

1.抜海駅(ばっかいえき)

道道510号線を北上し、次の抜海駅に到着。

 

 

駅前は建物が数軒。さらに周囲には牧場が点在している。また、少し東に行くと漁港がメインの抜海集落がある。冬にはアザラシの群れがやってくることで名が知れている。

かつては宗谷地方唯一の不凍港ということもあって、漁港だけではなくフェリーも発着していそうだ。

 

日本最北の木造駅舎、抜海駅。屋根や写真右側の部分などはかなり古そうだ。

f:id:kamonji224:20201031170717j:plain

 

待合室の中はがらんとしているが、掲示物が多い。

f:id:kamonji224:20201031171029j:plain

 

1970年前後の抜海駅と芦川駅の様子。真冬に雪原を走るSLも写っている。

f:id:kamonji224:20201031171159j:plain

 

力強い自体の駅名看板。

f:id:kamonji224:20201031171514j:plain

 

こちらは相当な年月が経っている様子。

f:id:kamonji224:20201031172007j:plain

 

ひらがなバージョン。よくある琺瑯看板とは違うのかな。

f:id:kamonji224:20201031172400j:plain

 

こっちはよく見るサッポロビールとセットの看板。

f:id:kamonji224:20201031172528j:plain

この駅、看板の数も多いしバリエーションが豊かだ。

 

稚内方面。かつてはこちら側に貨物引込線があったようだ。

f:id:kamonji224:20201031172709j:plain

 

名寄方面。構内踏切が見える。

f:id:kamonji224:20201031172835j:plain

夕方になってきて赤茶けた線路に影が差し、よりいっそう寂しさが際立ってきた。

 

2.抜海駅と近隣の歴史。

1897年に夕来駅逓が設置される。当時は季節的漁場に過ぎなかったが、徐々に入植者が増え始め物資の集散地となる。しかし交通不便は変わらず。

抜海駅は1924年稚内駅~兜沼駅間の開通に伴い一般駅として開業。

1977年貨物取扱廃止、1984年旅客業務無人化、1986年完全無人化となった。

2021年3月で廃止予定だが、地元住民との話合いは継続中の模様。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真。

 

駅前にはもう少し民家が多く、線路沿いの防雪林もなさそう。

 

kamonji224.hatenablog.com