空知無人駅巡り ― 栗丘駅 ―

目次

 

1.栗丘駅

栗沢駅から再び国道234号線に出て南に向かう。

道道340号線を右折して踏切手前の細い道に入ると栗丘駅に到着。

 

 

 

曇ってきてしまったのが残念だが、まずは駅舎を撮影。

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駅舎は同じ室蘭本線三川駅、古山駅、安平駅と似たタイプ。

若干味気無くもあるが、やがて昭和の遺物として評価される時が来るのかもしれない。

 

駅舎を抜けるとホームへの階段がある。

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駅舎後ろに見える跨線橋は完全封鎖。

向かいのホームとあわせて、現役の駅とは思えぬ廃墟感がとどまることを知らない。

 

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かつては2面2線が稼働していた栗丘駅。

ここを境に南は複線、北は単線区間であったため交換駅として活躍していた。

しかし1990年に栗山トンネルが崩落、復旧されることはなくそのまま単線に移行したのであった。

 

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駅の北側を眺める。

上の写真と向きを変えただけだが、廃墟のような跨線橋側の曇り具合と、開放的な田園地帯の爽やかな空と雲が偶然にもマッチ。

 

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線路は途中で剥がされている。

単線でも交換設備くらいあってもいいのではないかと思うが、不要だったのだろうか。

 

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尚、駅前は細い道があるのみ。

車で訪れる場合は気を付けよう。

 

2.栗丘駅と近隣の歴史

この辺りはアイヌの人々や伐木流送を行う和人が夕張川を目指し往来する場所だった。

栗丘地区の開拓の歴史は1886年頃から始まる。

柴田農場から土地の払い下げが行われ、北斗・岐阜・雨煙別地区と同時期に移住者がやって来た。

1890年からは北海道炭礦鉄道による岩見沢~角田間の工事が開始される。

また、空知集治監の囚人による道路開削工事も始まった。

栗丘は工事業者等を相手に商売を行う人が増え、市街地ができた。

しかし1894年に鉄道が開通すると需要が減り、市街も無くなった。

 

1943年信号場として設置。終戦後付近住民の陳情により1946年に一般駅として開業。

信号場の建物を駅舎として利用したため、待合室はなかったそうだ。

その後1948年に駅舎を増築。

 

国土地理院地図の1970年代後半航空写真。

周囲はあまり変わらないかもしれない。

貨物取扱は1972年に廃止。

現在の駅舎は1982年に改築されたものである。

この写真の当時は荷物などの扱いもあり、今より大きかったのではないかと予想されるがどうだろう。

 

この辺りは線路の両側に栗沢灌漑溝・北海幹線用水路という長大な水路が走っている。

現在は美田地帯だが、かつては水害などがひどかったのかもしれない。

 

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