今日は2014年10月21日放送の空から日本を見てみようで紹介された福井県の敦賀市から小浜市について調べてみた。
最初は敦賀市
人口は約6万5千人。
三方を山に囲まれた扇状地。
天然の良港を持ち、平安時代には渤海や宋との交易窓口として栄えた。
江戸時代には北前船の寄港地であった。
景勝地である気比松原は古来より気比神宮の神苑として管理されており、江戸時代以後も藩有林となり現在に至る。
敦賀半島には砂州で二つの島が繋がれた水島、花崗岩の断崖絶壁が続く門ヶ崎などこちらも景勝地が多い。
敦賀港は近年国際コンテナの取り扱いを伸ばしている。
古代より栄えていたが鉄道の普及により一旦衰退。その後国際航路に活路を見出し現在に至る。
第二次世界大戦中多くのユダヤ人を救った杉原千畝の命のビザによって日本にやって来た人々が上陸したのは敦賀港であった。
現在も資料館「人道の港ムゼウム」にて当時の資料を紹介している。
その他にも旧敦賀港駅舎や赤レンガ倉庫、洲崎の高灯籠など文化財が数多い。
次は美浜町
人口約9千人。
人工水路もいくつか作られている。
人口は1万4千人ほど。
中世には近江方面と繋がる鯖街道が通り、熊川宿は江戸時代街道きっての宿場町として繁栄した。
現在も伝統的建築物が残り、水路や水利施設など共に歴史的景観を構成している。
人口は3万人弱。
ヤマト朝廷の時代から日本海側の入り口として栄えてきた。
機内とのつながりが深く、鯖街道の起点である。
江戸時代には京極氏や酒井氏が治める城下町であり、今も街並みは文化財として保護されている。
皇室に贄を貢いだ御食国の一つとされており、食材と名勝・旧跡の多い地域である。
坂上田村麻呂が創建したと伝えられる明通寺や若狭国分寺、7~8世紀にかけての製塩遺跡が残る飯盛山など寺社や史跡が数多い。
花崗岩の柱状節理が波に侵食されて洞門や瀑布が連なる蘇洞門は国の名勝に指定され、遊覧船も運航されている。
人口は8千人。
室町~戦国期に戦乱を避けて多くの公家がこの地に移り住んだ。
その影響を受け、かつての屋敷跡は小京都の風情を残し、京都と同名の寺社が並ぶ。
小浜湾北西の大島半島は福井県最大の陸繋島である。半島北西部の赤礁崎は陸繋島にある陸繋島で全国的にも珍しい地形だ。
ペリー来航以後に築造された小浜藩台場が付け根部分にあり、国の史跡としてレプリカの設置など整備が行われた。
人口約1万人。
また大岩壁を誇る音海半島、明鏡洞など8つの海食洞を有する城山公園など景勝にも優れている。