空から日本を見てみよう ― 能登半島Ⅰ ―

目次

 

1.羽咋市

今日は2015年8月4日放送の空から日本を見てみようで紹介された能登半島について調べてみた。

スタートは羽咋市(はくいし)。wikipedia:羽咋市

 

人口は2021年の推計人口で19,999人。

能登半島の西側の付け根に位置し、能登国一ノ宮である気多大社が位置する。

古代より北陸の大社として名高く、近隣の寺家遺跡は竪穴住居などと共に気多大社の祭祀で使用される祭器などが出土している。

一説には渤海との交易に関わる客院関連施設もあったとされている。

隣の宝達志水町へと繋がる海岸線の千里浜なぎさドライブウェイは、一般の自動車や観光バスも走行できるビーチ。世界に3か所しかない希少な砂浜である。

 

2.志賀町

次は志賀町wikipedia:志賀町

人口は約1万8千人。

 

古代には渤海からの使節が停泊しており、江戸時代には北前船が拠点とする湊が幾つも設置されるなど海上交通の要衝として栄えた。

海岸部は約30kmに渡って奇岩、断崖などが続く景勝地として名高く、朝鮮半島有数の名所である金剛山に因んで能登金剛と名付けられた。

旧福浦灯台は日本最古の木造建築灯台として県の史跡に指定されている。

 

3.中能登町

続いては中能登町

wikipedia:中能登町

 

人口は1万6千人ほど。

町内には遺跡が多く、川田古墳群のある古墳公園とりや雨の宮古墳群などは観光施設としても整備されている。

石動山は加賀・能登越中の霊山として信仰されたが戦国期に織田軍に焼き討ちされ衰退。明治の廃仏毀釈後は廃寺となった。

 

4.七尾市

最後は七尾市wikipedia:七尾市

人口は5万人弱。

 

古代には能登国府や国分寺が所在する能登国の政治の中心であった。

七尾湾の能登島にある須曽蝦夷穴古墳は石室が二つあり、天井部がドーム状になっている高句麗式の構造で、日本の古墳にはかなり例が少ない。

 

戦国時代には畠山氏が七尾城を拠点に栄えるが上杉謙信に滅ぼされる。

七尾城は日本五大山城の一つに数えられるほどの堅固な城であったが、1582年能登の大名となった前田利家小丸山城に移る。七尾城は廃城となる。市街地も小丸山に移ったため七尾城周辺は開発を逃れ、石垣はかなりの割合が残っている。

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七尾城のあった城山に七つの尾根があったことが七尾という地名の由来。

小丸山城は七尾港に近く、河川と海が堀の役割を果たす平山城金沢城に移るまでの間の主城であった。

1615年の一国一城令で廃城となり、現在は僅かな痕跡を残すのみで公園として整備されている。

前田利家が七尾城防御のために陣用地として各宗派の寺院を集約した山の寺寺院群能登島のガラス美術館などが観光スポットとなっている。