中富良野町 ― ラベンダーの町 ―

目次

 

1.中富良野町の沿革

今日は中富良野町について調べてみた。

wikipedia:中富良野町

 

人口は約4600人。

北海道のほぼ中央に位置する。

東部・西部は丘陵山岳地帯。国道237号線と富良野川が中央部を斜めに縦断している。

東部は十勝岳連邦の溶結凝灰岩からなる。先史時代の中央部は湖水状態の泥炭地で丘陵地帯との境目部分からの湧水や沢の部分から遺跡が出土している。

 

開拓が始まったのは明治も後半に入った時期。1896年に富良野原野の殖民区画が制定。

前後して単独の入植者が点在。

鉄道の敷設も計画されていた。当初は西中や鹿討が駅の設置候補であったが、湿地の為方針転換。地盤の良い現在の中富良野駅が選定され、1900年に開業。駅付近に市街地ができ始める。農産物や木材の搬出も盛んになった。

 

駅より南側には運送業に商店・宿屋などが順次開業していく。

一方駅より北側はより商業地の性格が強くなり商店街も形成された。

さらに明治末期~大正期には今の中善寺付近や法栄寺付近も新市街として開けていく。

1917年には上富良野村から分村し二級町村の中富良野村発足。

1923年一級町村制施行。

分村については北12号以南の排水工事負担を嫌った上富良野村が分村を後押ししたことも背景にあったようだ。

1958年鹿討駅開業。旅客のみの取扱いで開業当初から小さな駅。今では旭川富良野間で最も利用者の少ない駅だ。

駅名の由来は開拓間もないころにこの辺りにあった鹿討農場より。

1964年町制施行し現在に至る。

 

2.中富良野町の観光

中富良野町と言えばやはりラベンダー。

カントリーサインもラベンダーに染まった丘陵と虹の風景。

 

1953年に富田農園でラベンダーの植栽が始まる。

当時は香料としての栽培が盛んで近郊でも生産量が多かった。しかし約20年後に海外からの輸入品に駆逐され、ラベンダーを栽培するのは富田農園のみになってしまう。

1976年国鉄のポスターにラベンダー畑が採用され知名度が高まる。

さらにドラマ北の国からでも放映され、一躍全国区の観光地に。

その後のファーム富田の盛況については説明するまでもないだろう。

1999年には臨時駅のラベンダー畑駅も開業。毎年ラベンダーシーズンのみ仮設駅が設置され、多くの観光客が乗降する。

 

他にも四季折々の花が咲くなかふらのフラワーパークに北星山ラベンダー園など、町西部の丘は色鮮やかな観光地が目立つ。

水田や畑作中心の東部では、星空とジンギスカンが人気の星に手のとどく丘キャンプ場が最近の人気スポットだ。

 

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