安平町 ― 雪だるまとSL ―

目次

 

 

1.安平町の概要・歴史

 今日は安平町(あびらちょう)について調べてみた。

wikipedia:安平町

 

2006年、早来町と追分町が合併して発足。 

人口はおよそ7500人。

この両町の成り立ちは少し複雑で、開拓当初の頃は千歳市美々、苫小牧方面の

馬の放牧場、鹿の猟場であった。定住者はいなく勇払村と植苗村の一部であった。

1892年、現在の室蘭本線が開通。さらに2か月後に夕張支線も開業。

この時に設置されたのが追分駅、2年後に早来駅が設置された。

追分駅は室蘭本線と夕張支線の分岐点となり、大規模な機関庫が設置される。

和人の定住も鉄道の建設と並行して進み、商店街が形成され地名も追分となった。

遅れて開業した早来駅は美々・千歳/鵡川・穂別方面の物資の集積地となる。

さらに当時の厚真村振老への殖民道路が開通、奥地への開拓や木材の運搬が盛んとなって駅前には市街地が形成された。

 

こうして人口が激増した1900年、勇払村・植苗村から分村し安平戸長役場が設置された。戸長役場は早来に設置。

1902年には遠浅駅安平駅が開業。

遠浅駅は林産物の搬出が盛ん、安平駅付近には鳥取団体が入植し人口が増える。

共に駅と国道の間が市街地となった。

 

1904年三井物産が早来~厚真間に木材専用馬車軌道を敷設。

2年後には一般貨物も利用可能となり、1921年には早来軌道㈱と名を変え旅客も運行開始。1931年にはガソリン車を導入した。

木材の他にも大正初期には日高産の馬の搬出駅となる。

 

一方追分町は主に鉄道関係の仕事に従事する人々が多かった。

主要な貨物は岩見沢/夕張方面から運ばれる石炭であったが、その他には木材搬出や骸炭(コークス)製造場などが主産業であった。

 

 

1906年に二級町村制、1923年には一級町村制を施行するなど順調に発展していく。

1933年には遠浅地区に日本初のチーズ工場ができた。

この頃追分地区の方が人口が多かったが、議員数は早来地区の方が多い。

さらに新庁舎の建設場所を巡って両地区に火種が残るなど徐々にしこりが生じていく。

 

そして1952年追分高校設置問題に端を発し、ついに追分村が分村。

1954年には安平村が早来村と名を変える。

 

その後鉄道の町追分町は石炭の取扱低下、蒸気機関車の廃止、機関庫の廃止などで活気を失っていく。

一方早来町では分離前の1949年早来軌道がバス転換。

その後は農業を基幹産業とするが人口はこちらも減少傾向。

 

そして冒頭にあるように2006年二つの町が合併し、かつての村名である安平を再び名乗ることとなった。

 

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早来町カントリーサイン。描かれているのはサラブレッドと雪だるま小包。

1980年代頃から町内に競走馬牧場が開かれている。

1986年ふるさと小包として当時の町内の郵便局長が発案した雪だるま小包。雪だるまの形をした発泡スチロールに雪をいっぱい詰めて送るというユニークな商品。今も国内外各地に届けられている。

  

      

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旧追分町のカントリーサイン。町のシンボルマークが描かれている。

 

合併した安平町のカントリーサイン。 

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競走馬、雪だるま小包、追分町の特産アサヒメロンが描かれている。 

 

 

2.安平町の交通

JR室蘭本線が町内を縦断し、石勝線が町北部をかすめている。

南から遠浅駅早来駅安平駅、追分駅。かつてはそれぞれ駅前に市街地を持ち賑わっていたが、今はちょっと寂しい雰囲気。特に追分駅には機関区も併設され広大な敷地を持つが、現在は大半が更地である。

かつては追分駅の東に東追分駅が設置されていた。

利用者はほとんどなく周囲は完全な農村地帯で、金麦のCMに使われるほどの牧歌的な風景を誇っていたが、2016年に信号場となった。

 

室蘭本線と並行するように国道234号線が南北に走っている。

追分駅から東へ向かい、国道にぶつかったところに道の駅が設置された。

開業に合わせ鉄道資料館も移設され、静態保存された蒸気機関車や追分町を中心とする近隣の鉄道の歴史が展示されている。

 

3.安平町の観光スポット 

旧追分町地区には1902年に日本初の保健保安林に指定された鹿公園がある。

その名の通りエゾシカが飼育され、キャンプ場なども整備された公園だ。

早来町地区には雪だるま発祥の碑や競走馬が放牧されているノーザンファーム、そして富岡みずばしょう園などが主な見どころだ。

 

かつては日本最古のサイロもあったが老朽化のため解体されてしまった。