地球絶景紀行 ― ドナウデルタ ―

地球絶景紀行。今回はルーマニアのドナウデルタを目指す。

wikipedia:ルーマニア

 

首都はブカレスト。人口は2千万人弱である。

地理的には東欧であるが、言語は東欧には珍しいロマンス語系である。

宗教は東方教会系のルーマニア正教会が主流である。

 

国名は「ローマ人の国」という意味である。

セルビアブルガリアとの国境はドナウ川を基準としている。

 

中世にはオスマントルコハプスブルク家の影響下にあった。

19世紀に独立するが第二次大戦後はソ連の圧力下にあり、共産圏の一因となる。

独裁者であったチャウシェスク体制の打破後、民主化が進み現在ではEUに加盟している。

 

ドナウデルタはドナウ川によって作られる巨大な三角州である。

 

ルーマニアウクライナにまたがる、人の手がほとんど入っていない湿地帯である。

 

ドナウ川はドイツ南部を源流とし、黒海に注ぎ込む。途中で通るのは10か国にも及ぶ大河である。

多くの魚、鳥類、さらには植物が生息する世界的に見ても特別な場所である。

欧州、アジア、地中海さらにはアフリカからも鳥たちが産卵のために訪れる場所となっている。

 

ドナウデルタ入口の町トゥルチャからフェリーで数時間かけて黒海に面する港町、スリナまで行くことができる。

 

団体であれば、トゥルチャから貸切ボートでドナウデルタを探検できるようだ。

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スリナはかつて大きな造船所もあり栄えていたが道路を建設することができず、渡し船しか交通インフラが整備できなかったため、現在では小さな町となっている。

 

しかし、黒海に面しているため、内陸部とはまた違った動植物や風景を眺めることができる。また個人でも参加できるツアーもあるようだ。

 

トゥルチャとスリナの間にもいくつか町や村があり、漁労で生計を立てている人が多いそうだ。観光や釣りを楽しむ人も多いが、黒海の夕日や朝日を見るためにはスリナが最適のようだ。

 

ドナウデルタで最も有名な鳥はペリカンである。

一時は人間の駆除でその数を減らしたものの、全ヨーロッパを挙げた保護の結果その数は回復してきた。

ペリカンたちは春に産卵のためにドナウデルタへ飛来し、冬には温かいアフリカへ帰っていくそうだ。

鳥たちを見るには時期を考えて訪れた方が良いだろう。

大きいもので全長170cmにもなるペリカンの集団はちょっと怖いかもしれない。

世界ふれあい街歩き ― 北京 ―

目次

 

1.北京の概要

世界ふれあい街歩き。今回は中国の首都、北京。

wikipedia:北京

 

人口は2千万人を超えるメガシティである。

古代は都の洛陽より離れ、匈奴などの侵攻も多発する辺境であったが徐々に北方の交易、朝鮮半島高句麗などに対する戦略的な位置から重要な都市となっていく。

現在でも万里の長城が北部の山岳地帯に聳えている。

 

時代が下って女真族の王朝である金が首都とし、元の時代には大都という名で元朝の都とされた。

明の第三代皇帝、永楽帝は名を北京と改め、現在に至っている。

 

華北平原の北端に位置して南部以外は山地に囲まれている。

華北平原は伝統的に中原と呼ばれ、中国の歴史の中心的位置を占めてきた。

黄河が流れ、地味豊かで温暖であるが降水量は少なく、近年は水不足が不安視されている。

 

2.北京の観光地

 

北京市街地の観光のスタートはやはり天安門

清の順治帝時代に建設され毛沢東が建国宣言を行った場所である。

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元々は明の王宮である紫禁城故宮)の門である。

紫禁城も清の時代に再建され、ラストエンペラーの溥儀の時代まで皇帝が居住していた。

現在では博物館となっている。

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歴史の古い都市のため、世界遺産も多い。

もっとも古い時代のものは北京原人の遺跡が発掘された周口店。

 

頤和園は金朝~清朝にかけて拡大されてきた庭園である。

皇帝の私有財産であったが、現在では一般開放されている。

 

天壇は明~清の時代の皇帝が祭祀を行った場所である。

豊作や雨乞いの祈りをささげたり、歴代皇帝の位牌が置かれている場所でもあった。

ここも明の永楽帝が建立したとされている。

 

明の十三陵は永楽帝以降の皇帝一族の陵墓群である。

一部は発掘されており、地下宮殿として公開もされている。

 

大運河は隋の時代に作られた。

北京から杭州までを結ぶ中国の大動脈である。

現在では一部放棄されている部分もあるものの、2千トン級の船が通行できるよう整備されている個所もあり、千年以上の時を経て今なお現役の運河である。

 

ちなみに街歩きではこれらの有名スポットはスルーして、后海界隈を散策した。

天安門の北側に位置する湖を中心とした北京の下町地区である。

建物は古いたたずまいを残し、レンガの壁にはさまれた胡同(フートン)と呼ばれる路地を歩く。

 

最大の繁華街である王府井は北京の銀座とも呼ばれ、観光客が絶えない。

皇族の屋敷の井戸があった事が地名の由来だそうだ。

ここも元の時代から続く胡同と呼ばれる横丁の四つの建物が中庭を取り囲む四合院様式が特徴的。

 

厚沢部町 ― じゃがいものおらいも君 ―

今日は厚沢部町について調べてみた。

wikipedia:厚沢部町

 

 

人口は約4千人。読み方は「あっさぶちょう」である。

意外と難読地名である。

函館市江差町を結ぶ国道227号が町内の中心部を横断している。

 

道の駅は国道沿い、町の中心部近くに立地している。

 

基幹産業は農業と林業である。

道の駅はヒバ材が使われているが、厚沢部町はヒバの伐採により栄えた。

松前藩の時代に杣夫と呼ばれる人々が本州から渡来し、農業を副業としながらこの地を開拓したのが始まりと言われる。

 

 

道の駅に隣接するレクの森にはヒバやトドマツが見られる。

北と南の樹木が混在する珍しい生態系だそうだ。

 

松前藩明治元年に現在の厚沢部町に館城という新たな城を建てた。

クーデターによって尊皇派に転じた松前藩旧幕府軍の海上攻撃に備え、内陸に退いたわけだ。

松前藩主は江差に居を構えていたが、箱館戦争に伴って館城でも旧幕府軍との戦いが起こり、館城は落城し旧幕府軍の治めるところとなった。

現在では史跡となっている。

 

旧南部家住宅という古農家建築の建物が現存している。

現在は滝野庵という蕎麦屋さんになっている。

この建物にもヒバが使われており、厚沢部町の暮らしになくてはならないものだったことがうかがえる。

近くには瀧廼神社という江戸時代から続く神社もある。

 

町西部の鶉(うずら)ダムにはオートキャンプ場も設置されている。

また温泉が多く、うずら温泉、館地区いこいの家、俄虫温泉など町内に点在している。

 

ところで、現在の厚沢部町と言えばじゃがいものメークインが有名である。

大正時代から栽培が始まり、今では厚沢部町の最大の特産物である。

もちろんゆるキャラもじゃがいも(おらいも君)であり、カントリーサインにも描かれている。

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空から日本を見てみよう ― 房総半島Ⅰ ―

今回は空から日本を見てみようの房総半島。

千葉県の大部分を占める。

古代は現在の霞ヶ浦付近が湾になっていたこともあり、太平洋と利根川に囲まれた島のようになっていた。

 

富津市からスタート。

wikipedia:富津市

 

人口は4万5千人。

JR内房線が通っている。

 

有名スポットとしては東京タワーの建設候補地だった場所に作られたマザー牧場に高宕山動物園や富津公園などの家族で楽しめる公園。

 

東京湾に向かって建てられた東京湾観音。

 

隣の鋸南町との間に位置する鋸山には山全体を境内とする曹洞宗の日本寺があり、地獄のぞきと呼ばれる高所恐怖症はやめた方が良い展望台や、大仏などもある。

 

また鋸山が東京湾に落ちる明鐘岬は夕日の鑑賞で有名だ。

 

続いて鋸南町

wikipedia::鋸南町

 

人口は約8千人。

内房線の駅が2つ設置されている。

 

江戸時代初期に活躍した最初の浮世絵師といわれる菱川師宣の出身地である。

見返り美人図が有名だ。

挿絵でしかなかった浮世絵を一枚の絵画作品としての地位を確立し、浮世絵の祖と言われている。

町内には菱川師宣記念館が建てられている。

 

次は南房総市

wikipedia:南房総市

 

人口は3万8千人ほど。

富浦町、富山町、三芳村白浜町、千倉町、丸山町、和田町が合併してできた。

房総半島の最南端に位置し、館山市を取り囲むような形となっている。

元々は館山市を含む合併が計画されていたが、破談となってしまった。

北部と南部を交通機関で行き来するには館山市を経由しなければならない地区もある。

行政機関や商業中心地も確立されておらず、生活圏は館山市に含まれる地区も存在している。

 

白浜町では海女による漁が有名である。

また、関東では唯一の捕鯨基地が旧和田町域にある。

房総半島最南端の野島崎や市西部にある大房岬など景観が良い。

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房総半島最南端の碑と野島崎灯台

 

また、南総里見八犬伝の舞台となった富山も市内に位置している。

 

 

最後は館山市

wikipedia:館山市

 

人口は4万7千人。

安房地方の中心地である。

 

戦国時代は里見氏の城下町として発展した。

館山城は1614年に里見氏が改易となった際に取り壊され、1982年に復元された。

丸岡城を模したものとなっており当時の姿は不明である。

 

洲崎灯台や坂田海岸など綺麗な海岸が多く、海水浴場やダイビングスポットとなっている。

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首都圏からは100km圏内だが、自然が多く気候も温暖な房総半島。

レンタカーを借りてふらりと一周してみたいものだ。

 

 

地球絶景紀行 ― ドゥブロブニク ―

今回の地球絶景紀行はクロアチアのドゥブロブニクへ向かった。

wikipedia:クロアチア

 

東ヨーロッパのバルカン半島に位置する国である。

1991年ユーゴスラビアから独立した。人口は450万人ほどである。

首都はザクレブ。

 

ドゥブロブニクはアドリア海沿岸、ダルマチア地方南部に位置する都市である。

wikipedia:ドゥブロブニク

 

隣国ボスニア・ヘルツェゴビナの唯一の港ネウムによってクロアチア本土から分離されている。

天然の良港があり、古来より海洋国家として栄えてきた。

 

ドゥブロブニクの旧市街は周囲4kmを城壁で囲まれていて、上に登って一周することが可能である。

町のシンボルともなっており、旧市街を眺めるにも最高のスポットである。

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また、ケーブルカーも整備されていて、こちらから旧市街を眺めることも可能だ。

 

ドゥブロブニクの観光は大まかに分類することができる。

 

 まずは中世~近世にかけての建物の鑑賞だ。

旧市街地の中心のプラツァ通りやロブリイェナッツ要塞、ピレ門にフランシスコ修道院など文化的価値の高い石造りの建造物たちは数多い。

また、町を眺めて回っていると独立時の紛争の傷跡にも触れることができるだろう。

当時の資料を展示している博物館もある。

アドリア海の真珠と呼ばれるほど美しい街並みが有名なドゥブロブニクだが、別の一面があったこともわかる。

 

美しいアドリア海に面した町であるドゥブロブニクの近くにはいくつもの島が浮かんでいる。

 

かつてオーストリア大公の別荘だったロクルム島は、植物園が造られクジャクが持ち込まれた。定期便もあり観光に便利だ。

 

ムリェト島は森林におおわれ、どちらかというと静かで人気のあまりない島である。

観光地の喧騒から離れたくなったら、出かけるのが良いだろう。

 

戦火から立ち直り、世界有数の美しい景観を持つドゥブロブニク。

日本にはあまりなじみのない地域かもしれないが、地中海の対岸のイタリアの各都市に引けを取らない魅力的な町である。