目次
1.西町アパート前停留場
次の駅は西町アパート前停留場。
1958年旅客のみ取扱の停留場として開業。
1972年旅客営業廃止で休業。1989年廃線のため正式に廃駅。
目立つ痕跡はほぼ残っていない。特に夏は草が茂って何もわからず。
春先にでも来れば路盤や踏切跡がわかるようだ。
1970年代の国土地理院地図の航空写真。
この辺りが駅舎だろうか。
二本の道路の西側に並んでいる横長の建物が西町アパートだろう。
2.旧頼成小学校
この寂しい道にひと際目立つ建物がある。
廃校となった頼城小学校。それを記す石碑が建てられている。
1910年に教育所として開校。
1917年頼城小学校と改称。
最初の校舎は火事で焼失し、1954年耐火性を考慮してレンガ造りの校舎が建てられた。
席の後ろに映っているのはおそらく木造の体育館。
備品購入も含めて全て三井芦別鉱業所の負担で建設されたという。
1960年には40学級、2千人を超える児童が通っていた。
その頃をピークに減少は続き、2002年に閉校。
現在残っているレンガ造りの小学校は全国でここだけという希少な校舎。
2004年から星槎大学のキャンパスとなり、関係者以外は基本的に立入禁止。
道路からの見学・撮影のみ可能だ。
全体の画像はこちらよりどうぞ。
大型重機などまだない時代、レンガは人力で運ばれ職人が手で積上げた。
イギリス積みで行われた工事は約1年で完成。児童が増え増築も行われた。
上空から見ると「山」という字を右に90度回転させたような形をしている。
最も長い廊下は100mを超える。
2008年にはこの校舎と木造トラス式の体育館が国の登録有形文化財に指定された。
1970年代の国土地理院地図の航空写真。
学校の南側は農地だった様子。
北東には1947年開校の頼城中学校。
こちらは1996年に閉校。
3.緑線駅
三井芦別鉄道に戻って、次の緑泉駅。
1945年開業の一般駅。
近くには三井鉱山の変電所もあったそうだ。
1972年旅客取扱廃止。その後は民家となる。
1981年廃線に伴い正式に廃駅。
ストリートビューより。言われてみると民家というよりは駅舎らしい建物。
今回は気づかないまま通過してしまったので、画像はこちらからどうぞ。
1970年代の国土地理院地図の航空写真。
頼成中学校から真東の位置にある。
構内は広く、交換設備もあったのではないかと思われるがこの写真では単線に草生した敷地が見えるのみ。
駅裏側には住宅が並んでいる。
グーグルマップでは線路の痕跡は全く見えず、住宅街は木が茂っていないことだけが名残かと思われる。