読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ウトナイ湖から勇払へ ― 白鳥の湖と開拓の苦難 ―

長かった北海道の冬もようやく終わりが近づき、ドライブを楽しめる季節になってきた。

というわけで早速土曜日の早朝5時に家を出発。

しかし、北広島や恵庭あたりでは畑に雪が積もってた・・・

また夜に降ってたんだな。

 

とりあえず国道36号線をひた走り、苫小牧の道の駅に到着。

 

 

ウトナイ湖という湖のほとりにある道の駅である。

まだ早朝なので施設は空いていないものの、湖に出ることができる。

 

建物を抜けると、靴の殺菌マットがある。

ここはラムサール条約にも登録された、鳥獣保護区である。

動植物に有害な菌や外来種を持ち込まないように管理されているのだ。

マットは車止めの手前にあるのだが、車止めの上には小鳥たちが座っている。

f:id:kamonji224:20170423224419j:plain

誰かが作り物の小鳥に服を着せてくれたらしい。

心温まる話として新聞記事にもなったそうだ。

 

前に進んでいくとすぐ湖畔である。

f:id:kamonji224:20170423224613j:plain

白鳥が3羽泳いでいた。こちらが近づくと遠ざかって行ったので、あまり近寄らないようにして撮影した。

 

f:id:kamonji224:20170423224714j:plain

 

f:id:kamonji224:20170423224743j:plain

他の鳥の姿は見当たらなかったが、まだ寝ていたのかな。

 

再び国道36号線、そして国道234号線から道道781号線を日高本線に沿って進む。

 

次に向かったのは勇払(ゆうふつ)という地名のとある公園だ。

 

勇払開拓史跡公園。ただの公園ではないようだ。

北側は遊具が整備されていて普通の公園の佇まいである。

 

一方南側にある駐車場付近には建物がいくつかあった。

まずはこちら。

f:id:kamonji224:20170423225429j:plain

 

そしてこんなものも。

f:id:kamonji224:20170423225505j:plain

 

そう、ここは墓地でもあるのだ。

 

f:id:kamonji224:20170423225543j:plain

江戸時代にはるばる東京から開拓と防衛のために北海道へやってきた人々。

並大抵の苦労ではなかっただろう。

この辺りは湿地帯で農業にも適してはいなかったようだ。

そんな先人を偲んで、この地に墓を建てることとなったわけだ。

 

詳しく知りたい人は資料館もあるので、寄ってみるべし。

f:id:kamonji224:20170423230013j:plain

今回は早朝だったので、写真だけ撮って次へ向かった。

世界ふれあい街歩き ― ローマ ―

世界ふれあい街歩き。今回はイタリアの首都、ローマ。

wikipedia:ローマ

人口は280万人強。イタリアの政治、経済、文化の中心地である。

 

ローマ教皇が居住するバチカン市国ローマ市に囲まれている外国である。

 

 

古代ローマ帝国の時代より、常にイタリアの政治の中心地であった。

現在では観光客も多く訪れる国際都市となっている。

またカトリックの総本山でもあり、教会や修道院も数多い。

街中にはイタリアで3番目に長いテベレ川が流れている。

また、丘の多い町であり、起伏に富んだ地形も特色となっている。

 

 

 歴史の古い都市であり、古代遺跡も多い。

コロッセオやカラカラ浴場跡などローマ時代の遺跡は世界的な観光スポットとなっている。

f:id:kamonji224:20170417214203j:plain

コロッセオは半周程が古代のまま残されている。

 

その他フォロ・ロマーノやフォロ・トライアーノなど遺跡だけでも枚挙にいとまがない。

 

市内には有名な広場も多い。

19世紀にイタリア王国を成立させたヴィトーリオ・エマヌエーレ2世記念堂の前にあるベネチア広場やスペイン大使館にちなんで名づけられたスペイン広場などが特に名高い。

 

f:id:kamonji224:20170417214816j:plain

映画ローマの休日でオードリーヘプバーンがジェラードを食した場所である。

 

また、トレビの泉や真実の口などザ・観光名所が目白押しである。

f:id:kamonji224:20170417215500j:plain

ここまで有名になるほどのスポットかどうかは疑問であるが、これもローマの休日とヘプバーンの影響が大きいのかもしれない。

 

また、キリスト教の聖地バチカン市国があることから、カトリックの重要な教会も多い。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂やローマ教皇が生活するサン・ピエトロ大聖堂など巨大なゴシック建築の教会がこれでもかと建てられている。

 

f:id:kamonji224:20170417215723j:plain

サンピエトロ大聖堂のドームから見た広場。

最大30万人を収容できる。

 

 

世界屈指の観光都市ローマ。

有名スポットを全部見ようと思ったら何日あっても足りないだろう。

森町 ― 桜とイカ飯とホタテ ―

今日は森町(もりまち)について調べてみた。

wikipedia:森町

 

人口は約1万6千人。

2005年森町と砂原町の合併により、現・森町が誕生した。

 

農業、漁業が盛んである。

道の駅は旧森町と旧砂原町に2か所建てられている。

 

森町の道の駅は裏手にオニウシ公園と青葉が丘公園がある。

道の駅自体はやや古い施設だが、公園と一体化しており特に桜の季節は観光客でにぎわっている。

公園中に桜が植えられており、桜を眺めながら散歩することができる。

 

砂原町の道の駅は漁業の街らしく、海産物のお土産が充実している。

4階の展望台からは砂原市街、太平洋、道南の名峰駒ヶ岳を臨むことができる。

f:id:kamonji224:20170413223420j:plain

 

町内を国道5号線が縦断している。

砂原町方面は太平洋沿いに進む国道278号が市街を貫いている。道の駅付近には季節の花が4kmに渡って植えられており、訪問者を迎えてくれる。

 

鉄道も国道に沿って線路が引かれている。

森駅で5号沿いに走る函館本線と278号沿いの砂原支線に分岐している。

森駅では名物いかめしを販売している。

ボリュームにはやや欠けるものの、駅弁では全国でも屈指の人気を維持している。

 

函館が近いため、観光地としてはやや地味な印象があるが、町北部の濁川は温泉郷になっており、10軒程の入浴施設が存在する。

18世紀から利用されていた記録が残っており、伊能忠敬も訪れたという。

 

濁川温泉からやや南には鳥崎渓谷八景という景勝地もある。

ここは市街地からかなり離れており、喧騒とは無縁の世界である。

紅葉や渓流釣りが目的の人が多いようだ。

 

幕末、函館の五稜郭で戦った榎本武揚土方歳三が本州から上陸したのがこの森町である。JR桂川駅の近くに上陸の記念碑と資料館が建てられている。

当時函館は国際貿易港となっており、戦闘で被害を与えることは後々良くないと幕府軍は判断したようだ。

したがって、少し離れたこの地に上陸したそうである。

 

 

 

空から日本を見てみよう ― 会津若松市 ―

今回の空から日本を見てみよう福島県会津若松市

wikipedia:会津若松市

 

人口は12万人。会津地方の中心都市である。

 

江戸時代には会津藩の城下町として栄えた。

福島県西部の会津盆地の南東部に位置し、国道49号や国道121号、JR磐越西線只見線会津鉄道会津線などが集積する交通の要衝である。

 

戦国時代に蘆名氏が黒川城を築城し、以後は東北第一の城下町として栄えた。

蘆名氏が伊達正宗に滅ぼされた後は伊達氏、蒲生氏郷上杉景勝と城主が変わる。江戸時代には徳川秀忠の子、保科正之が入封して会津松平家の始祖となった。

幕末には藩主の松平容保京都守護職として活躍した。

大政奉還後には戊辰戦争の舞台となり、白虎隊の悲劇などを招く。

 

現在は郡山、米沢、新潟などの都市間の交通の便が良いこともあり、観光地としても有名である。

 

 

 福島のシンボルである猪苗代湖が市西部に位置してる。

日本で4番目の面積を誇り、水質も上位である。

年間を通して家族連れで楽しめるスポットになっている。

 

一方会津若松のシンボル、若松城鶴ヶ城

f:id:kamonji224:20170412222935j:plain

 明治時代に取り壊しとなったが戦後復旧された。

明治時代に外国人が旅行した際に撮影されたものがフランスで出版された旅行記に掲載されており、取り壊し前の姿を知るうえで貴重な資料となった。

 

近隣には松平家の庭園であった御薬園も残されている。

 

市の東側には白虎隊の自刃の地となった飯盛山がある。

白虎隊記念館や旧滝沢本陣など歴史資料館が並ぶ。

市内には松平家墓所があったり、新選組近藤勇斎藤一の墓があったりなど幕末ファンは一度訪れるべき場所である。

 

市の南部には芦ノ牧温泉街がある。

行基弘法大師にまつわる伝説もある、古い温泉である。

 

赤べこや起き上がり小法師などの名産品も有名だ。

 

南隣の下郷町へ。

wikipedia:下郷町

 

人口は約6千人。

会津西街道の宿場町として栄えた。

特に大内宿は寄棟造の茅葺き屋根が並ぶ歴史的景観が評価され、県内でも有数の観光地となっている。

地球絶景紀行 ― テカポ ―

地球絶景紀行。今回はニュージーランドへ向かう。

wikipedia:ニュージーランド

 

人口は470万人ほど。行政機関が集中する北島と陸地面積が大きな南島及び小さな島々からなる国である。

マオリ人と呼ばれるポリネシア系の先住民族が約15%を占める。

古代より大陸と遠く離れていたため、独自の生態系を持つ。

大型の哺乳類は全く住んでおらず、モアやハルパゴルニスワシなど大型の鳥類を頂点とする生態系が存在していたが、乱獲によってこれらの種は絶滅した。

 

 

旅の最初は南島最大の街、クライストチャーチから。

 観光名所やマオリ族の文化に触れた後は絶景を目指して旅を続ける。

 

まず向かったのはマウント・クック。

標高3724m、ニュージーランド最高峰の山である。

登頂難易度は非常に高く、夏季でも数十メートルの積雪が残る。

悪天候と貧弱な登山道によって大半の挑戦者は途中で下山する。

 

ふもとの村では飛行機で氷河へ降り立つことができるツアーを組んでいる。

天候が良ければ身軽な格好で山中へ行くことも可能だ。

 

マウントクックから東に行くとテカポという名の湖と小さな村がある。

自然が多く残るニュージーランドでも特に美しい星空で有名である。

 

昼間はミルキーブルーと呼ばれる美しい水面や湖畔に咲き乱れるルピナス、羊の群れなどを楽しむことができる。

 

f:id:kamonji224:20170410215713j:plain

 

そして夜が更けると「善き羊飼いの家」という名の石造りの教会やマウントジョン天文台などのスポットで星空観察だ。

マウントジョン天文台では日本語のガイドもあるらしいので、普段はなかなかお目にかかることができない南半球の星座を楽しもう。

 

また、テカポ湖には水着着用の温泉もあり、日本にいるかのようにゆっくりすることもできる。夜の星空ツアーに備えて体を休めておくこともできるだろう。

 

世界ふれあい街歩き ― セビリア ―

世界ふれあい街歩き。今回はスペイン南部の都市、セビリアを紹介。

wikipedia:セビリア

スペイン南部、アンダルシア州の州都で人口は70万。

セビーリャ、セビージャなどとも表記される。

スペイン第4の都市である。

 

グアダルキビル川に面しており、内陸の都市であるが大西洋から大型船が遡航することができる。そのため、港湾都市として発展してきた。

 

8世紀ころイスラム教徒の支配下となる。

1200年代にレコンキスタと呼ばれるキリスト教徒の国土回復運動によって奪い返された。セビリアの陥落によってレコンキスタはほぼ終了し、最後はグラナダを残すのみとなった。

 

セビリアの夏は気温が高く、近隣のコルドバとならんでヨーロッパでも有数の灼熱都市である。最高気温が35℃まで上がる日がザラである。

 

闘牛やフラメンコの本場であり、スペインを代表する建造物も多い。

国内屈指の観光都市である。

 

セビリア大聖堂

f:id:kamonji224:20170409221028j:plain

 国内最大、世界でも3番目に大きい大聖堂である。

内部の建築にはイスラム教の名残も見られる。

コロンブスの墓やヒラルダの塔などがとくに有名だ。

 

スペイン広場

f:id:kamonji224:20170409221635j:plain

万国博覧会の会場として作られた。

アンダルシア地方に多いムデハル様式を取り入れて作られている。

壁面にはスペインの各地方の歴史的出来事を描いたタイルが飾られている。

アラビアのロレンススターウォーズのロケ地となったことでも有名だ。

 

大聖堂と広場の間にはアルカサル(王宮)がある。

14世紀にカスティーリャ王ペドロ一世によって建てられた。イスラム時代の宮殿を意識した作りとなっている。

 

王宮のそばにはコロンブスレコンキスタの英雄、エルシドのモニュメントが建てられている。

 

セビリアコロンブスに馴染みの深い場所である。

インディアンス総合古文書館にはアメリカ大陸到達に関する資料やコロンブス、マゼランの直筆文書も保存されている。スペインの植民地であったアメリカ大陸やフィリピンの歴史を知るうえでとても重要な資料を所蔵している。

 

現在のセビリア大学はかつてのタバコ工場の跡地に建てられた。

このタバコ工場はオペラの名作カルメンの舞台となった場所と言われている。

主人公カルメンはこのタバコ工場で働いている設定だそうだ。

 

グアダルキビル川沿いには海の街らしく、海洋博物館の入った展望台(オロ・タワー)がある。かつては軍事施設であった。現在でも外観は当時のまま、石造りである。

f:id:kamonji224:20170409224118j:plain

 

塔の北部には闘牛場がある。近年はスペイン国内でもやや肩身の狭い娯楽であるが、アンダルシア地方は発祥の地でもあり、伝統文化としての地位は変わらない。

 

サッカーでも有名な都市である。市内にはセビージャとベティスという2チームが存在し、国内でも屈指の激しいライバル意識むき出しのダービーである。

近年はセビージャがヨーロッパの舞台でも活躍しており、ベティスのサポーターはやや分が悪い状態だ。

 

 

 

紋別市 ― 流氷の町 ―

今日は紋別市について調べてみた。

wikipedia:紋別市

 

人口は2万3千人。

オホーツク海に面し、漁業が盛んである。

また、内陸部では酪農や畑作も主要な産業である。

 

道の駅は紋別港の南端に位置する。

 北海道立オホーツク流氷科学センターが道の駅として登録されており、有料ゾーンは科学館となっている。流氷やガリンコ号について詳しく知ることができる。

 

近くには巨大なカニの爪が屋外に立っている。

カントリーサインにも描かれており、紋別のシンボルの一つである。

かつては流氷の上に浮かべていたそうだが、現在では陸に1年中固定されている。

元々は昭和58年の流氷アートフェスティバルで制作されたらしい。

道の駅のすぐそばにあるので、気軽に立ち寄ることができる。

実際に行ってみると思ったより大きくてびっくりする。

 

道の駅の近くには砕氷船のガリンコ号も展示されている。

初代ガリンコ号は三井造船がアラスカ油田開発のために建造した実験線であった。

1985年に実験が終了し、観光船へと改造された。世界初の流氷砕氷観光船であった。

1996年に役目を終え、現在では陸地に展示されている。

2代目ガリンコ号はヤマニシが建造を請け負い、今なお現役でオホーツクの海を走っている。

 

ガリンコ号の発着点であるオホーツクタワーは流氷の下の海中を見ることができる世界初の海中展望塔である。

海底階はミニ水族館でもあり、海中を窓から眺めたり水槽の魚を見ることも可能だ。

 

近くにはとっかり(アザラシのこと)センターがあり、保護したアザラシの飼育や治療、研究などを行っている。運が良いとアザラシに触らせてもらえたりもする。

 

紋別の象徴でもある流氷だが、故郷はアムール川の河口である。

 

川から流れ出る淡水によって塩分濃度が薄まった海水が凍りつき、海流に乗ってオホーツク海へやってくる。アザラシや鳥類、キタキツネなども流氷に乗って北海道へ移動してくるという。

流氷の下は植物性プランクトンが豊富であり、プランクトンを餌にする海の生物たちも必然的に多くなり、豊かな漁場が形成される。

オホーツク海で毛ガニ漁などが盛んなのはまさに流氷の恩恵である。

 

f:id:kamonji224:20170408151106j:plain

 

 紋別の観光スポットは港周辺が中心であるが、それ以外にも観光地が点在している。

 

内陸部にはテレビ中継局でもあるオホーツクスカイタワー。

紋別の町を一望できる。

 

南部の海岸近くにはコムケ湖、シブツノナイ湖がありキャンプ場も設置されている。

 

湖と市街地の間にはオホーツク紋別空港がある。

現在は東京との間に路線が就航している。

 

市街地には土産屋、飲食店、温泉施設が併設されたオホーツク氷紋の駅。

ここは、かつてJR名寄本線の紋別駅であった。

紋別市内には名寄本線と渚滑線が通っていたが、どちらも廃線となっている。

名寄本線と渚滑線は紋別北部の渚滑駅で交差していた。

現在国道238号と国道273号が交差する付近である。

国道238号に沿って走っていた名寄本線に対し、渚滑線は国道273号と同じ方角へ向かう。ただし、渚滑線は隣の滝上町との間を結ぶ盲腸線であった。

 

現在駅の遺構はほぼ存在しないものの、一部が鉄道資料館や公園となり、在りし日に駅があったことを後世に伝えている。

 

最後に金山について

紋別市には鴻之舞という鉱山があった。

住友金属が経営し、金銀銅を算出していた。

なかでも金の埋蔵量は国内三位と言われるほどであったが、昭和48年に資源枯渇のため閉山。

最盛期には1万人を超す集落であったが、今は慰霊碑といくつかの構造物に沈澱池が残るのみとなっている。