国鉄のあった風景 ― 万字線美流渡駅 ―

目次

 

1.美流渡駅

引き続き万字線の跡を辿って道道38号を東へ進む。

目指すは美流渡駅の跡である。

 

 

この辺りは旧栗沢町域になる。

栗沢町の中心部とはかなり離れているが、岩見沢市と栗沢町幌向川を境にしていたため、場所によっては岩見沢市→栗沢町岩見沢市と目まぐるしく変わる所もあった。

 

例えば、栗沢町宮村などはこんな位置にある。

 

そして、美流渡駅の前に訪れた岩見沢市朝日町はこんな位置。

 

 

栗沢町役場はこの位置にあったので、一度岩見沢市を経由する場合も多々あったのだろう。

 

 

ところで美流渡駅である。

地名は「みると」と読む。

ここにも炭鉱があった。北海道炭鉱汽船株式会社、通称北炭が経営する鉱山である。

美流渡駅から南部に分かれる支線もあり、万字線で最も大きい集落であった。

現在でも役所の出張所やコンビニもあったりして万字線沿線の中心部で会った名残が見受けられる。

 

駅は町の中心部にあった。

 

駅舎は取り壊され現在では交通センター(バスの待合所等)になっている。

 

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2階は商工会議所の支所になっていて、美流渡駅の資料も展示されているのだが、土日はお休み。

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平日も予約が必要。

 

建物の裏手は大きな駐車場になっている。道路を挟んだ向かいは公園になっていてこの道路を含めて駅の構内であったようだ。

 

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栗沢町域に入ったからだろう。記念碑が上志文駅や朝日駅とは違うものになっている。

 

廃線を辿る者にはいささか寂しいかな。

 

先を急ぐことにした。

 

ところで、今回は訪れなかったが支線の北星炭礦美流渡専用鉄道は上美流渡という地区へ向かっていた。

炭鉱が閉山したのち、住宅はまばらとなったがミルトコッペというパン屋さんや市の工芸館があったりしてちょっと面白い地区になっているようだ。

 

次の機会にはこの辺りを探検してみよう。

 

2.美流渡駅と近隣の歴史

2020年5月追記。

美流渡地区は1895年頃から開拓が始まる。朝日地区周辺まで坂東農場の用地であった。

当初は三笠の幌内駅から山道を超えて行き来していたようだ。

美流渡駅万字線開通時に一般駅として1914年開業。

1917年北炭が美流渡炭鉱の採掘を開始。

1920年美流渡礦専用鉄道運用開始。

 

1960年北炭から経営を分離独立。1963年美流渡駅が改築。

1967年専用鉄道廃止。同じころ2度の坑内火災で北星炭鉱自体が閉山。

1970年専用線発着以外の貨物取扱廃止。

 

1985年万字線廃線に伴い廃駅となった。

 

 

国土地理院地図の1970年代後半航空写真。

駅右下で線路から分岐して南へまっすぐ進んでいく道路の東に痕跡が見えるのが美流渡礦専用鉄道跡。

 

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国鉄のあった風景 ― 万字線朝日駅 ― 

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1.朝日駅

国鉄万字線の跡を辿るドライブ。

上志文駅の次は朝日駅

道道30号から38号線へ進路を変えた。

 

幌向川に沿って進む。

幾度か川と交差しながら東へ向かうと朝日町に入る。

小さな集落を抜けたところが朝日駅の跡地である。

 

 

道道から駅跡に向かって左折する道があるが、すぐに行き止まりになっている。

交通の邪魔にはならない位置なので、ここに車を停めた。

 

駅跡を眺める。

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駅舎はそのまま保存され、周りも良く整備されている。

 

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鍵がかかっていて中に入ることはできない。

 

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記念碑もきれいなままである。

 

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可愛らしい駅名標。リニューアルされたのかな。

 

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ここは公園として整備されたというわけだ。

 

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ホームから見た様子。廃線になった時とほぼ変わらない姿と思われる。

 

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ここにもSLが静態保存されている。こちらもみなみ公園のSL同様ぴかぴかである。

 

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屋根も設置されていて、他にも色々駅跡らしき設備が残っている。

 

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SL以外も整備が行き届いているのだろう。寂れた雰囲気が全くない。

 

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SLについての記述がない。他のホームページによると別な場所から移動してきたそうだ。

 

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鉄道だけではなく、遊具も設置されている。こちらもピカピカだ。

 

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開基100年記念碑も公園内に建立されていた。

 

2.朝日駅と近隣の歴史

朝日地区は1896年頃開拓が開始。当初は滝ノ上という地名であった。

1900年前後、三井物産が志文駅から木材運搬のための馬車鉄道を敷設。

1909年頃、炭鉱の鉱区を設置。

1919年万字線が開通し、朝日駅も一般駅として開業。

 

万字線は万字炭山の石炭運搬を主として建設された。

ここ朝日駅にも朝日炭鉱という鉱山があり(駅のすぐ裏山である)、他の炭鉱と違って大会社の資本ではなく中小の会社が経営する炭鉱であった。

鉄道開通と合わせて炭鉱も開業、1922年一時閉山するが1933年再開。

 

1970年専用線発着以外の貨物取扱廃止。

 

1960年代の国土地理院地図の航空写真。

 

駅すぐ裏手に炭鉱施設が見える。

東側には炭鉱住宅らしき建物が密集していた。

 

1974年に閉山となり、貨物取扱廃止。

1978年簡易委託化。1985年万字線廃線となり朝日駅も廃止。

1999年上記の蒸気機関車が市内の東山公園から移設される。

 

人口の減少は続いていると思われる。しかし、この公園はよく管理され街並みも炭鉱時代の面影を残しつつ廃墟のような印象は受けない。もちろん古い建物が多いことは多いのだが。

 

この公園を維持していくのも予算的に大変だろうが、よく努力しているのではないだろうか。市と集落のどちらがどのような役割を担っているかはわからないが駅と鉄道への愛着はたっぷりと伝わってきた。

 

廃線跡巡りというと哀愁漂う趣味にしか思えないが、そうでもないのかな。

 

次の駅を目指してさらに東へ進む。

kamonji224.hatenablog.com

 

 

国鉄のあった風景 ― 万字線上志文駅 ―

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1.上志文駅跡

岩見沢の市街地から市の東部へ向かう。

1985年に廃線となった国鉄万字線跡を辿ることにした。

 

万字線は今も現役の駅である岩見沢駅、志文駅を経て上志文駅、朝日駅、美流渡駅、万字駅、万字炭山駅と計6駅、約24kmの路線であった。(正式には志文駅を起点としていた)

 

美流渡駅以東は旧栗沢町に属している。

今日は廃線となった部分のみを巡ることにする。

まずは上志文駅跡からスタート。

 

みなみ公園を出て国道12号を越える。

道道789号線を経て道道30号線に変わり、やや南下したあたりだ。

 

途中セイコーマートがあったので地図を確認がてら駐車。

すると駐車場の隣の草むらに何か像と碑のようなものがあった。

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近くに寄ってみる。

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廃校となった上志文小学校の校歌と勉学に励む像である。

二宮金次郎なのだろうか。

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今から20年近く前に廃校となったようだ。

近所にはメープル小学校という風変わりな名の小学校がある。

上志文小学校を含む近隣の小学校と統廃合されたようだが、生徒は少なく、むしろ少人数教育を特色としているらしい。

 

 

 

話がそれてしまったが、上志文駅跡はセイコーマートよりもう少し南側である。

萩の山市民スキー場の目の前にあるのだが、民家に紛れているので知らないと気付かないだろう。訪問する場合は事前にストリートビューで確認しておいた方が良い。

 

道路なのかスキー場の敷地なのか私有地なのかやや不明瞭であるが、とりあえず建物は確認できた。

 

 

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私有地のようにも見えるので、敷地内には立ち入らず道路から見学した。

 

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駅舎がそのまま残されているらしい。

 

ストリートビューを見ると

 

道道がわから見ると、出入口に「上志文駅」と書かれた看板のようなものがある('ω')ノ

ここを訪れる人々に教えてくれているのだろうか。親切丁寧なことだ。

 

目印は特にないが道道30号に面する民家の裏側、スキー場へ向かう道に面している。

 

岩見沢近辺の鉄道は炭鉱の発展に合わせて鉄路を伸ばしていったが、この駅は炭鉱ではなく旅客がメインであったようだ。

 

裏手のスキー場を訪れる客が最も多かったのだろうか。

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鉄道は廃線となり、小学校も統廃合の対象となったが特に寂れきった印象もない。(多少の廃屋はあったが)

北海道のどこにでもある田園風景が広がっている。

 

隣の朝日駅以降は徐々に昭和の香りを感じられるようになっていくのだが、それはまた改めて。

 

2.上志文駅と近隣の歴史

2020年5月追記

この辺りの開拓が始まったのは1893年頃。

その前には坂市太郎が夕張の調査でこの地を往来した。

もう少し南西に幌向川の渡船場があり、岩見沢から夕張への重要ルートとなっていた。

開拓後間もなく渡船場両岸に栗山開拓者向け商店街もでき始めるが、大正初期の万字線開通後は寂れ、駅前に市街が移った。

 

上志文駅は1914年に開業。

それ以前にも万字方面への道路及び馬車鉄道が開通し徐々に便利になっていく地域であった。

駅は2面2線のホーム構造、さらに副本線や貨物引込線も有していた。

 

現役時代の駅舎は今の2倍くらい幅がある建物だった。

1962年貨物取扱廃止。

1985年万字線廃線に伴い廃駅となった。

 

国土地理院地図の1970年代後半の航空写真。

 

当時は萩の山市民スキー場の最寄り駅として特別列車が運行されたこともあったそうだ。

 

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岩見沢市街地 ― 静かに佇む文化財 ―

ゴールデンウィークも終わり、北海道は肌寒い日が続く。

天気は良いので朝からドライブに。

 

向かったのは岩見沢

まずは国道12号線沿いの市民会館。

 

早朝なので建物は閉まっている。

目的は裏手にある利根別川沿いの緑地部分。

 

橋が架かっているのだが・・・

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逆側は

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緑地内は並木道が整備されており、散歩にも最適だ。

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しかし、ここの目玉は橋そのもの。

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ご覧のとおり、木星の橋であるが、橋脚がない。

単純桁橋という構造らしい。長さは30m以上あるのだが、この構造ではどうやら世界一の長さらしい。

もちろん歩いて渡ることも可能だ。もう少し有名になっても良いスポットだと思う。

 

続いて少し北へ向かう。

 

 

この公園には何があるかというと・・・

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国道からもちらりと見えるのだが

SLが2台保存されている。

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まずはD51

 

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道内各地を走り回っていたようだ。

 

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続いてはC57

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こちらは室蘭本線専任。対照的である。

 

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逆側から見ると

 

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横には遊具が置いてある。

心なし列車の形を模しているような気がする。

 

冬季は車両にシートをかぶせているので見ることはできない。

その代り保存状態は良好であり、遊具を見ても鉄道に敬意を表している様子が見て取れる。

 

現存する函館本線室蘭本線の他に万字線幌内線が接続していた岩見沢市。

かつて鉄道の拡大と共に町が発展していったことがここで遊ぶ子供たちに伝わっているのかはわからないが、SLと親しんでいることは間違いないだろう。そして、それで十分だと思う。

 

赤井川村の道の駅 ― 賑わっているけど長閑 ―

先日赤井川村の道の駅に遊びに行った。家族&マイマザーを伴ってドライブである。

 

国道5号線を小樽へ向かって走り、朝里で国道393号へ。

 

毛無峠のヘアピンカーブを超えて、展望台はスルー

 

小樽の街並みが良く見える場所だが、今回はパス。

 

赤井川村に入ってすぐのとんでんファームへ寄った。

 

レストランや売店のほかに馬やヤギ、アルパカに兎などを飼育している。

 

子供が喜ぶかと思ったが、ほぼ初めて生で見る動物たちが怖かったらしい。

ワンワンくらいしか間近で見たことないものね。

 

あきらめて道の駅へ向かう。

 

村の開基115周年に道内115番目の道の駅として登録された。

 

周りには田園が広がり、建物はログハウス風でさわやかな道の駅である。

駐車場はいっぱいだったが天気が良く、広々とした風景もあってごった返している印象はなかった。

 

建物の中はベーカリーにアイス屋さんに売店と食堂。さらに農産物の直売所が隣に建っている。レジには小さな女の子が。働いているお父さんと一緒に来たようだ。

はにかみながらうちの娘と手を振り合っていた。

 

建物の裏手は小さな公園になっている。

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小さな水路があって(指が写っちゃった)

 

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小さめの桜が咲いていた。

 

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もう少し暖かくなれば花壇に花も咲くのだろう。

 

赤井川村は札幌から近いわりに、知名度が低いかもしれない。

キロロリゾートは有名だけどね。

小さな村だが、ちょっとドライブに行くには良い所だと思うよ。