今日は音威子府村について調べてみた。
上川地方北部に位置し、人口はわずか800人ほど。
北海道で一番人口の少ない自治体である。
南隣の美深町から重複していた国道40号と国道275号が再び分岐する場所だ。
道の駅おといねっぷは国道の分岐点の近くに建っており、JR宗谷本線の音威子府駅も
すぐそばである。
道の駅、JRともに特産品である田舎そばを食べることができる。真っ黒で風味が強くそばの産地が多い道内でも独特な味を誇る。
JR音威子府駅では廃線となった天北線の様子を知ることもできる。
現在の宗谷本線よりも先に開通し、旭川から稚内までの主要ルートであった。
1985年に廃線となる。廃線以前、音威子府は交通の要衝として栄え人口は5千人に達した。うち3割が国鉄関係者だったという。
現在でもその名残で特急が停まっている。特急の停まる自治体としては日本一人口が少ない。
音威子府駅前には、かつて村のシンボルだった高さ15mにもなるオトイネップタワーというトーテムポールが建てられていた。
カントリーサインにもデザインされている例のあれである。
1980年、音威子府村在住の芸術家砂澤ビッキが製作したものである。
しかし、ビッキ没後の1990年に強風で上部が破損し一時撤去された。
数年後、ビッキの作品が所蔵されているエコミュージアムおさしまセンター(ビッキのアトリエがあった場所)にて展示されることとなった。
アイヌの伝統的な木彫り文化を色濃く反映させながら現代彫刻家となった砂澤ビッキ。
この小さな村のシンボルが再びその姿をみせることはかなわない。
しかし、新たな村のシンボルが育ちつつある。
北海道おといねっぷ美術工芸学校。
人口800人の村のうち、120人の生徒を抱える高校だ。
以前はどこにでもある公立高校であったが、過疎化の影響をもろに受け廃校の危機に迫られる。
全道唯一の工芸科に変更し、全国各地から生徒を募集した。
徐々に知名度が上がり、今では倍率2倍を超える年もあるそうだ。
生徒たちは村に住民票を移し、多くの生徒は寮で生活。
自治体の行事にはすべて参加し、上記のおさしまセンターの仕事を手伝うことも。
この学校が村の経済を支えていると言っても過言ではない。
いつかは卒業生の中からこの地で制作活動を行う者も出てくるだろう。
シンボルの世代交代が起きる日をビッキも待ちわびているのではないだろうか。
最後に、北海道という地名の由来をご存じだろうか。
明治初期、この地を調査した松浦武四郎がアイヌの長老から聞いた話。
「この地にすむものをカイと呼ぶ」
彼は江戸時代から明治時代に変わったことで、蝦夷地ではなく新しい名を政府に提出した。それが「北海道」。
彼の残した天塩日誌という記録から、上記の話を聞いた場所を割り出し、北海道命名の地としたそうだ。
現在では高橋はるみ知事直筆の記念碑がひっそりと建てられている。