小樽を歩いてみる、一人で ― 水天宮 ―

7/16 朝早く目覚めたので、小樽に行ってみた。

 

市役所の駐車場は土日解放されているので、車を停めていく。

 

 

公園通という細い道を通って海側へ向かう。

 

坂を下って国道を渡ると飲み屋街、商店街、そして鉄道の高架下をくぐって住宅街となり、また登りとなる。

 

途中にあった小樽市指定歴史的建造物

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小樽聖公会

聖公会とはプロテスタントの源流をルーツとする宗派である。

ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴さんの奥さんのリタさんもここに通っていたらしい。

ニッカ工場への道中に寄ってみるのも良いだろう。

ちなみにこの教会の手前には鳥居があり、さらに教会の隣はお寺が建っている。

色んな宗教が仲良くやっているようで、理想的な形のようにも思える。

 

 

 

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市役所からは結構下ってきたのだが、鳥居の手前辺りからは急な登りになり、通ってきた道を見下ろせるようになる。

天気が良ければもう少し良い眺めだろう。

 

そして坂を上っていくと、水天宮という神社にたどり着く。

 

 1859年に創立という、北海道ではなかなかの歴史を持つ。

 

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坂を上って行った先に社殿がある。

 

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登ってきた道と逆側から小樽港を一望できる。が、

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木が茂りすぎていて・・・

 

小平町 ― 鰊番屋をシンボルに ―

今日は小平町について調べてみた

wikipedia:小平町

 

人口は約3千人。

日本海沿岸、小平蘂川に沿って開けた町である。

 

国道232号、通称オロロンラインが日本海沿岸に沿って南北に町を貫いている。

かつては鉄道の羽幌線、天塩炭鉱鉄道、達布森林鉄道が存在していたが今ではすべて廃線となっている。

 

臼谷駅、小平駅跡は公園となっているようだ。

 

廃線となった駅跡が道の駅に姿を変える事例は少なくないが、この小平町の道の駅は違う形となった。

 

町の北部、鬼鹿地区に道の駅は建てられた。

隣には花田家番屋という史跡が建っている。

小平町の網元であった花田家の鰊番屋は明治38年に建築され、今では町が所有する国指定の重要文化財となっている。

現存する鰊番屋としては国内最大の大きさのようだ。

道の駅は隣に建てられ、最近リニューアルされた物産館と食事施設が並んでいる。

農水産物やにしん料理がおすすめである。

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また、道路の反対側には松浦武四郎が詠んだ歌碑が建てられ、夕日スポットにもなっている。

 

上記のとおり沿岸部はかつてニシン漁で栄え、現在も名残を残している。

一方で山間部の主要産業は炭鉱と林業であった。

 

鉄道によって留萌炭田の北炭天塩炭鉱から石炭を運び、さらに人造石油の研究開発も行っていたようだ。また、同時に木材の輸送も盛んに行われていたようだが、石炭の枯渇とトラック輸送への転換によって1967年に廃線となった。

天塩炭鉱鉄道は小平市街を経由せず、山間部の達布地区から留萌駅へ直接線路が通っていた。

 

また、それから20年後には羽幌線も廃線となり小平町から鉄道は消えた。

 

炭鉱はほぼ姿を消し、山間部には小平ダムが建設された。

下流の公園には等身大クビナガリュウが設置されている。

小平町は恐竜の化石も出土し、その筋ではそれなりに有名なようだ。

 

空から日本を見てみよう ― 四万十市 ―

今回の空から日本を見てみよう高知県四万十市

wikipedia:四万十市

 

人口は3万3千人。高知県南西部の中心都市である。

東隣には四万十町という自治体もある。

 

2005年に中村市と西土佐村が合併して発足した。

 

内陸部は気温が上がりやすく4日続けて40℃越えを記録したこともある。

 

四国最長の国道56号・四国最南端の国道321号・四万十川中流に沿って走る国道381号・四国第二の距離を誇り、日本屈指の酷道’「ヨサク」として知られる国道439号・愛媛と高知を繋ぐ国道441号(これも酷道)が通っている。

 

鉄道はJR予土線、そして土佐くろしお鉄道が通っている。

予土線には半家駅(はげえき)という駅がある。北海道の増毛駅(ましけえき)とコンビのようになっていたが、増毛駅は廃駅となってしまった。

 

四万十市の名所と言えば何と言っても、日本きっての清流、四万十川である。

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大規模なダムが建設されていないことや、下水が流れこまないことから清流を保っているとされている。また、流域に湧水が多いことも水質を保つ原因となっているらしい。

もっとも、水質的には日本の他の河川より飛びぬけて数値が良いわけではないようだ。

 

また、台風や大雨時には川に沈む沈下橋と呼ばれる橋も名物である。

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流木などが引っかかって橋が破損・流失するのを防ぐために欄干が設けられていない。

四万十川流域には支流を含めると50本近くあるそうだ。

来るまで渡るにはちと勇気がいるが、絵になる風景である。

 

地球絶景紀行 ― プーケット ―

今回の地球絶景紀行はタイへ。

南部のアンダマン海に浮かぶ島、プーケットに向かう。

 wikipedia:プーケット

人口は40万人をやや下回る程度 。

島であると同時にプーケット県という行政区分にもなっている。

隣のパンガー県とは橋で繋がれている。

007の舞台にもなったジェームスボンド島なんてのも

 

 

 

2004年の地震によって大きな災害を受けるも、復興は急速に進み、5年後にはかつての大観光地の姿を取り戻している。

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 プーケットのビーチ。

人が多い所でも美しいが、人の少ない穴場へ行けばアジア屈指の美しい海を見ることができるだろう。

 

 

世界ふれあい街歩き ― フィレンツェ ―

今回の世界ふれあい街歩きはイタリアのフィレンツェ

wikipedia:フィレンツェ

 

イタリア中部にあり、トスカーナ州に属する。

人口は35万人。

 

旧市街全体が世界遺産に認定されている。

中世にはメディチ家が実質的にフィレンツェを支配していた。

ルネサンスが発展したのもこの時期である。

ボッテイチェリ、ダヴィンチ、ラファエロミケランジェロなどが活躍しイタリアの文化的中心の地位を担っていた。

 

現在でも歴史的建造物が多く、観光が盛んである。

 

サンタ・マリア・デルフィオーレ大聖堂

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石積みのドームとしては世界最大級の大きさを誇る。

ルネサンス初期に完成した。

 

聖堂やルネサンス期の作品を所蔵する美術館が多い町である。

これらを巡るだけでも1日では足りないのでは。

 

また、一時期メディチ家の住居でもあったヴェッキオ宮殿やフィレンツェ最古の橋であるヴェッキオ橋なども有名である。

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ヴェッキオ橋は第二次大戦で唯一無傷であった橋であり、橋の上には宝飾店が並んでいることでも有名だ。

 

また、サンタ・クローチェ聖堂にはガリレオ・ガリレイの墓があったりする。

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ルネサンス期の芸術家たち以外にもアメリカという名前の由来になった探検家アメリゴ・ヴェスプッチや「君主論」を著した政治家マキァヴェリなどもフィレンツェ出身である。

 

建築物を見て歩くだけでも楽しいが、偉人たちの所縁を辿りながら歩くと、歴史都市フィレンツェをより一層楽しめそうだ。