世界ふれあい街歩き ― コンヤ ―

目次

 

1.コンヤの概要

今日は世界ふれあい街歩きで紹介されたトルコ中部の古都、コンヤについて調べてみた。

 

標高約1000mの乾燥したステップ気候の高原に位置する。

中央アジアの草原に近い景観で麦の栽培が盛ん。

灌漑と地下水に依存する。

古代から東西交通の要衝で、古代にはイコニオンとも呼ばれる。

ローマ時代から内陸の重要都市だった。

 

11~13世紀にかけた栄えたセルジューク朝の首都となり、都市が発展。

イスラムや中央アジア系トルコ人の文化が根付きペルシア文化と融合する。

また、イスラム神秘主義のスーフィズムの拠点にもなった。

オスマン帝国時代には地方の一都市となり、現在は宗教色が強い大都市の一つとなった。

 

2.コンヤの観光

セルジュークの建物はレンガと石を用いた、厚い壁で幾何学模様の装飾が中心。

大きな門とアーチが特徴で、中庭があり、発達した石彫り技術により微細な彫刻が可能になった。

ランドマークのメヴラーナ博物館

スーフィズムの創始者メヴラーナ・ジェラレッディン・ルーミーの霊廟が置かれている。ターコイズ色のドームなどイスラム建築や庭園、今も引き継がれている舞踊を見学することができる。

 

町の中心にあるアラアッディンの丘はかつてセルジュークの宮殿もあった古代都市の中枢。丘の上にはモスクが建っている。

 

 

セルジューク時代を代表する建物は二つの神学校。

インジェ・ミナレ神学校は精巧な石彫りが刻まれた豪華な装飾の門、細いミナレット(尖塔)が特徴。

 

 

カラタイ神学校はタイル装飾が特徴的。

 

 

郊外のシレ地区はギリシャ系住民の旧集落だった。

ギリシャ風の石造家屋や教会が残る歴史地区。

 

 

3.セルジューク朝の概要

セルジューク朝のルーツはカザフ草原付近で遊牧生活を営んでいたトルコ系のオグズ族。イスラム化、さらに土地を求めて西へ進み、衰退していたアッバース朝に代わってイランを制圧。スルタンとして認められるとさらに西へと進み、ビザンツ帝国を破ってアナトリア半島も支配下に治めた。

広大ゆえに分裂し、アナトリア地方はルーム・セルジューク朝として栄える。

ペルシャ人官僚を登用、土地の税収を地方に与える代わりに徴兵を行うイクター制を採用し常備軍を形成。

ビザンツ帝国との対決やアナトリア全域へのトルコ系植民に向けて、前線を補佐する位置にあったコンヤを首都とした。

13世紀になるとモンゴルが台頭。イランは壊滅し、アナトリアではオスマン帝国が勃興することとなった。