地球絶景紀行 ― タヒチ ―

地球絶景紀行。今回は南国の楽園、タヒチへ向かう。

wikipedia:タヒチ島

 

正式には南太平洋のフランス領ポリネシアに属する。

タヒチ島ソシエテ諸島にある島だ。

首都はパペーテ

画家のゴーギャンが晩年に住んでいた島である。

また、冒険家のヘイエルダールが南米から筏で南太平洋を漂流した際の到達地点としても有名である。

 

番組ではタヒチ島には訪れず、隣のモーレア島からスタート。

 タヒチ島の西隣に位置する。

火山島であり、ゴーギャンは海に浮かぶ古城とたとえた。

切り立った峰々がそびえたち、伝説の数多く残る島である。

 

続いてボラボラ島

世界で最も美しい島とも言われ、水上コテージが立ち並ぶ。

ビーチ好きなら一生に一度訪れてみたい島だろう。

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綺麗な海。それだけで十分である。

 

最後はランギロア島。

小さな島々が連なってできているこの島。

周囲230kmにも及ぶラグーンを誇る。

海中には溢れんばかりの魚たちが泳ぎ回る。

水深が低いのでシュノーケリングでも十分だそうだ。

島の風景と相まって、天国にやってきたかのような感慨を覚える。

世界ふれあい街歩き ― モンマルトル ―

今回の世界ふれあい街歩きはフランスの首都・パリのモンマルトル地区。

wikipedia:モンマルトル

 

 パリで一番高い丘である。

元々はパリと違う自治体に属していたが、1860年にパリに併合された。

 

サンドニ大聖堂の由来となった聖ディオニュシウスが殉教した場所と伝えられている。

また、ザビエルやロヨライエズス会の創設を誓った場所ともされている。

 

長い間パリ郊外の農地であり、ブドウ畑と風車がシンボルであった。

 

19世紀半ばから都市化が進み、繁華街となった。

現在でもキャバレー・ムーランルージュなどに名残を見ることができる。

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赤い風車という意味のこの建物。実際に赤い風車が備え付けられている。

 

その後は芸術家の町となる。

ピカソゴッホルノワールジャン・コクトーなどがこの地で活動を行った。

ゆかりの場所を探訪するだけでも時間が足りなくなるだろう。

 

現在では歴史的地区としてパリでも有数の観光地となっている。

19世紀に建てられたサクレ・クール寺院は40年もの歳月をかけて完成した。

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しかし、観光スポットを少し離れるとかつての郊外の雰囲気が残る場所もある。

わずかながら残ったブドウ畑は画家ブールボが中心となってブドウ畑を整備。

治安が悪かった時代に子供たちが安心して遊べる場所となり、現在ではワインも作られている。

 

ワイン片手に丘の上からモンマルトルの街並みを眺めて一日を終えるのも贅沢な旅行だろう。

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岩内町 ― たら丸の海 ―

今日は岩内町について調べてみた。

wikipedia:岩内町

 

後志地方に位置する日本海に面した町だ。

人口は1万3千人ほど。

 

日本海沿いに走る国道229号と岩内から倶知安・苫小牧方面へ向かう国道276号が岩内町の市街地で交わっている。

 

道の駅は市街地付近にある。

 こじんまりとした道の駅である。物販は控えめであり、観光ガイドが主のようでもある。

ここではやはり、彼の存在感が際立っている。

 

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岩内町のキャラクター、たら丸君だ。

たら丸はスケソウダラのキャラクターである。往時から岩内町の特産物である。

案外世間で有名な彼のグッズが欲しい方は迷わずこの道の駅へGO!

 

 

ところで、この道の駅は旧国鉄岩内駅があった場所である。

現在のJR函館本線の小沢駅から分岐し共和町のいくつかの駅を経て終点のみ岩内町に設けられた。

 

当初は現在のせたな町から岩内へ続く路線の建設申請に対し、一部のみ承認されてできた路線であった。その後黒松内町と結ぶ路線も計画されたが未成に終わる。

岩内町は鰊を中心とする海産物や炭鉱、銅の鉱山などで栄え、岩内線の貨物輸送も賑わっていたが資源の枯渇と道路整備などで衰退が始まる。

結局1985年に廃止となった。共和町の各駅はホームが残っているものも多いそうだ。

 

かつては新潟県直江津と東日本フェリーで結ばれていたが1999年に休止となりフェリーターミナルは解体されてしまった。

 

岩内町は日本におけるアスパラガスの発祥の地でもある。

生産は喜茂別が主となってしまったが、日本アスパラガスという名の会社が現存する。

今では缶飲料加工の会社であるが社名はアスパラガスの栽培に成功した当時のままである。

また野生ホップ発見の地でもある。郷土館には発見を記念する石碑が建てられている。

北海道のビール醸造のきっかけになったらしい。

 

三菱重工業高砂研究所岩内工場も立地している。

タービンのプリント基板を作っているそうだ。

文系の自分には何が何やらである。

 

市街地から離れ、山側へ向かうと円山展望台がある。

岩内の街並み、港を一望できる。オートキャンプ場も近接しているので夜景もグーだ。

 

寿都町方面へ行くと奇岩弁慶の刀掛岩が見える。

付近には雷電温泉郷もあったが災害などにより2017年では三浦屋旅館一軒のみが営業している。

カントリーサインでたら丸が眺めているのはこの付近の荒々しい海岸線である。

 

かつては難所として知られたこの地も相次ぐトンネル工事によって運転しやすくなった。しかし一方では眺めを楽しむこともできなくなったわけだ。

旧道の入り口付近は駐車可能な場所もあるので小休止してみるのも良いだろう。

知る人ぞ知る夕日のスポットである。

 

 

 

空から日本を見てみよう ― 熱海市 ―

今回の空から日本を見てみよう静岡県熱海市

wikipedia:熱海市

 

神奈川県と接し、静岡県最東部に位置する。

人口は3万7千人くらい。

 

相模湾に面し、市域のほとんどが丘陵地帯となっている。

 

明治期に鉄道が開通し、首都圏からの交通の便が良くなったことで一躍大保養地へと飛躍した。ひところより観光客は減ったものの東京・横浜の奥座敷としての地位は健在である。

 

東海道新幹線東海道本線伊東線が通っている。JR東日本JR東海の境目に位置し、在来線は熱海駅を起点とするものが多い。

 

熱海といえばやはり中心部の温泉街が有名であるが、それ以外にも観光スポットは少なくない。

 

 来宮神社には樹齢2千年を超えるとされる大楠が本殿裏に立っており、天然記念物に指定されている。

 

有形文化財の起雲閣は実業家や政治家の別邸、旅館を経て今では市が管理している。

大正時代のモダン建築を窺うことができる。

 

熱海城は実在した城ではなく観光用に建設されたもの。

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錦ヶ浦山頂に建てられ、熱海市街を一望できる絶景スポットである。

内部には歴史資料館があり、同じ敷地にはトリックアート美術館もある。

 

伊豆湯河原温泉は神奈川との県境に位置し、実質神奈川県の湯河原温泉と一体で温泉街を形成している。中心を流れる千歳川によって静岡県と神奈川県に区切られている。

 

海岸沿いに位置するお宮の松尾崎紅葉の小説「金色夜叉」の寛一とお宮の別れのシーンの舞台と言われている。横には寛一とお宮の像も建てられている。

 

相模湾に浮かぶ初島縄文時代の遺跡も発掘されるなど古くから人が住んでいた。

現在では定期航路が設置され、レジャーリゾート地として開発されている。

 

地球絶景紀行 ― アルタンブラグ ―

今回の地球絶景紀行はモンゴル・アルタンブラグ。

wikipedia:モンゴル

 

人口は約300万人。

 

そのうち首都のウランバートルには120万人以上が住む。

wikipedia:ウランバートル

ウランバートル社会主義時代に整備されたソ連式の都市である、

道路は広く、ロシア風の建物が並んでいる。

日本の大相撲力士を多く輩出しており朝青龍白鵬日馬富士鶴竜など横綱勢やモンゴル人力士の草分けとなった旭鷲山などがウランバートルの出身である。

 

ウランバートルから30分も車を走らせれば大草原が広がる。

今回はロシア国境に近いアルタンブラグという村へ向かった。

 

 

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ゲルと呼ばれる居住式テントで暮らす遊牧民の世界だ。ゲルは1時間ほどで組立ることができる。

羊や馬、ラクダなどを放牧し年に数回は移動する遊牧民にとってなくてはならない文化である。

外側には防寒用のフェルトをかぶせてある。

最近では太陽光パネルや蓄電池、パラボラアンテナなども備えられているそうだ。

 

 番組で取材した遊牧民の一家の一人息子がナーダムと呼ばれる祭典に出るという。

モンゴル相撲・競馬・弓射といった競技が行われる。

競馬の子供の部に騎手として出るそうだ。

 

かつてチンギスハーン率いるモンゴルの騎馬軍団がユーラシア大陸を縦横無尽に席巻したDNAが、形は変われど、今もモンゴルの少年たちの姿に映しだされているのだろう。