空から日本を見てみよう ― 房総半島Ⅰ ―

今回は空から日本を見てみようの房総半島。

千葉県の大部分を占める。

古代は現在の霞ヶ浦付近が湾になっていたこともあり、太平洋と利根川に囲まれた島のようになっていた。

 

富津市からスタート。

wikipedia:富津市

 

人口は4万5千人。

JR内房線が通っている。

 

有名スポットとしては東京タワーの建設候補地だった場所に作られたマザー牧場に高宕山動物園や富津公園などの家族で楽しめる公園。

 

東京湾に向かって建てられた東京湾観音。

 

隣の鋸南町との間に位置する鋸山には山全体を境内とする曹洞宗の日本寺があり、地獄のぞきと呼ばれる高所恐怖症はやめた方が良い展望台や、大仏などもある。

 

また鋸山が東京湾に落ちる明鐘岬は夕日の鑑賞で有名だ。

 

続いて鋸南町

wikipedia::鋸南町

 

人口は約8千人。

内房線の駅が2つ設置されている。

 

江戸時代初期に活躍した最初の浮世絵師といわれる菱川師宣の出身地である。

見返り美人図が有名だ。

挿絵でしかなかった浮世絵を一枚の絵画作品としての地位を確立し、浮世絵の祖と言われている。

町内には菱川師宣記念館が建てられている。

 

次は南房総市

wikipedia:南房総市

 

人口は3万8千人ほど。

富浦町、富山町、三芳村白浜町、千倉町、丸山町、和田町が合併してできた。

房総半島の最南端に位置し、館山市を取り囲むような形となっている。

元々は館山市を含む合併が計画されていたが、破談となってしまった。

北部と南部を交通機関で行き来するには館山市を経由しなければならない地区もある。

行政機関や商業中心地も確立されておらず、生活圏は館山市に含まれる地区も存在している。

 

白浜町では海女による漁が有名である。

また、関東では唯一の捕鯨基地が旧和田町域にある。

房総半島最南端の野島崎や市西部にある大房岬など景観が良い。

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房総半島最南端の碑と野島崎灯台

 

また、南総里見八犬伝の舞台となった富山も市内に位置している。

 

 

最後は館山市

wikipedia:館山市

 

人口は4万7千人。

安房地方の中心地である。

 

戦国時代は里見氏の城下町として発展した。

館山城は1614年に里見氏が改易となった際に取り壊され、1982年に復元された。

丸岡城を模したものとなっており当時の姿は不明である。

 

洲崎灯台や坂田海岸など綺麗な海岸が多く、海水浴場やダイビングスポットとなっている。

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首都圏からは100km圏内だが、自然が多く気候も温暖な房総半島。

レンタカーを借りてふらりと一周してみたいものだ。

 

 

地球絶景紀行 ― ドゥブロブニク ―

今回の地球絶景紀行はクロアチアのドゥブロブニクへ向かった。

wikipedia:クロアチア

 

東ヨーロッパのバルカン半島に位置する国である。

1991年ユーゴスラビアから独立した。人口は450万人ほどである。

首都はザクレブ。

 

ドゥブロブニクはアドリア海沿岸、ダルマチア地方南部に位置する都市である。

wikipedia:ドゥブロブニク

 

隣国ボスニア・ヘルツェゴビナの唯一の港ネウムによってクロアチア本土から分離されている。

天然の良港があり、古来より海洋国家として栄えてきた。

 

ドゥブロブニクの旧市街は周囲4kmを城壁で囲まれていて、上に登って一周することが可能である。

町のシンボルともなっており、旧市街を眺めるにも最高のスポットである。

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また、ケーブルカーも整備されていて、こちらから旧市街を眺めることも可能だ。

 

ドゥブロブニクの観光は大まかに分類することができる。

 

 まずは中世~近世にかけての建物の鑑賞だ。

旧市街地の中心のプラツァ通りやロブリイェナッツ要塞、ピレ門にフランシスコ修道院など文化的価値の高い石造りの建造物たちは数多い。

また、町を眺めて回っていると独立時の紛争の傷跡にも触れることができるだろう。

当時の資料を展示している博物館もある。

アドリア海の真珠と呼ばれるほど美しい街並みが有名なドゥブロブニクだが、別の一面があったこともわかる。

 

美しいアドリア海に面した町であるドゥブロブニクの近くにはいくつもの島が浮かんでいる。

 

かつてオーストリア大公の別荘だったロクルム島は、植物園が造られクジャクが持ち込まれた。定期便もあり観光に便利だ。

 

ムリェト島は森林におおわれ、どちらかというと静かで人気のあまりない島である。

観光地の喧騒から離れたくなったら、出かけるのが良いだろう。

 

戦火から立ち直り、世界有数の美しい景観を持つドゥブロブニク。

日本にはあまりなじみのない地域かもしれないが、地中海の対岸のイタリアの各都市に引けを取らない魅力的な町である。

 

世界ふれあい街歩き ― リューベック ―

今回の世界ふれあい街歩きはドイツ北部の都市、リューベック

wikipedia:リューベック

 

シューレスヴィヒ=ホルシュタイン州に属し、人口は約20万人。

中世には北海・バルト海交易で繁栄したハンザ同盟の盟主であった。

 

その後はナポレオンによってフランスに併合される。

ナポレオンの没落後はドイツ領となり、第二次大戦後はイギリスの統治下に置かれる。

東ドイツとの国境に近く、亡命者が多かった。

 

現在では中世の街並みが残る歴史都市として北ドイツ有数の観光都市となった。

レンガ造りの町並みを縫うように通っているのがガングと呼ばれる細い通路である。

商人たちは通りに面した大きな館を立て、その裏に従業員用の長屋などを建てていたのだ。長屋は次々と建てられ、それに伴って通路であるガングも町の至る所にできたという訳だ。

 

 

 ハンザの女王と呼ばれた美しい街並みを誇るリューベック

旧市街の入口にあるのが町のシンボルであるホルステン門だ。

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ドイツで一番有名な門と言われている。

地盤が弱く、門の重さに耐えかねて少し歪んでしまっている。

内部は歴史博物館になっている。

 

中心部であるマルクト広場に立つ市庁舎は緑の塔に丸い穴の開いた壁、後年増築された白いアーケードなど多様な建築様式が混然とした不思議な建物である。

 

また、市庁舎以外でも黒いレンガを使った建物が多く、リューベック特有の街並みを演出している。

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 マリエン教会はドイツで3番目に大きく、レンガゴシック様式では世界一の大きさを誇る。若き日のバッハがここでレッスンを受けたことでも有名である。

 

聖霊養老院は裕福なハンザ商人たちが建てた福祉施設である。

現在では一部のみ見学することが可能。ホールでは工芸品市が開かれることもあるそうだ。

 

船乗り集会所も現存している。

航海の打ち合わせが行われたこの場所は歴史的建築としての価値も高い。

外観だけではなく、室内にも帆船の模型など当時使われていたものが残っている。

さらにここは現役の集会所でもあり、レストランでもある。

昼食はここでとるしかあるまい。

 

リューベックは3人のノーベル賞受賞者を輩出した町である。

文学賞トーマス・マンギュンター・グラス、平和賞のヴィリー・ブラント

彼らにちなんだ博物館や記念館がそれぞれ建てられており、名所の一つとなっている。

 

ギュンター・グラスは現在もリューベック在住であり、本人におめにかかることがもしかしたらできるかもしれない。

 

新ひだか町 ― 昆布と桜と馬、馬、馬 ―

今日は新ひだか町について知らべてみた。

wikipedia:新ひだか町

 

人口は約2万3千人。

2006年に静内町三石町が合併し誕生した。

 

道の駅は旧三石町内にある。

海岸沿いにあり、温泉旅館、海浜公園、キャンプ場が併設されていて夏休みを過ごすには最適の場所だ。

三石町は昆布が名産である。 温泉旅館の名称につけられるほどである。

 

また、競走馬の生産も盛んで、名馬オグリキャップや連敗記録で有名になったハルウララの出身地である。

 

静内町はやはり桜がもっとも有名である。

明治時代黒田清隆の命で開拓された牧場を突っ切る広い道の両側に桜が植えられている。この道は二十軒道路桜並木と呼ばれ新ひだか町最大の観光地となっている。

また近くには桜舞馬公園(オーマイホースパーク)という公園がある。

名高い競走馬たちの墓が並び、桜の時期には花見も楽しめる。公園の設備もさることながらネーミングセンスも抜群である。

新ひだか町にとって競走馬がいかに大切なものかがよく表れていると思う。

 

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町内には他にも競走馬にまつわる施設があるが、忘れてはならないものがもう一つ。

 

アイヌに関する施設である。

真歌公園にはアイヌ民族資料館とシャクシャイン記念館がある。

アイヌの指導者、シャクシャインが1669年松前藩に反乱を起こしたことは日本史の教科書に載っていると思うが、彼はこの地のアイヌの指導者であった。

公園にはシャクシャインの像もある。

また、展望台もあるのでシャクシャインが眺めていた日高の山並みや海岸の風景を見ながら歴史に思いを馳せるのも良いだろう。

 

新ひだか町の交通は日高地方の大動脈、国道235号に依存している。

JR日高本線も通っていたが、台風の被害で運休が続き復旧のめどはたっていない。

 

静内町は静内川流域に沿って開けた町である。

上流には静内ダム、そして高見ダムがある。

 

高見ダム付近にはかつて高見集落があった。

 

日高地方でも屈指の秘境と言って良いほどの集落であったが、ダム建設以前に全戸移転となっていた。

急峻で脆弱な地形のため工事は困難を極め殉職者も続出した。

どうにか工事は終了したもののダムへ続く道道は本来日高山脈を越えて十勝へと続くはずであったが工事は進まず、現在では落石の危険のため関係車両以外は立入禁止となっている。

日本でも有数の大きさを誇るダムであるが、観光資源となることはできなかった。

観光センターで配られているダムカード以外にその姿を拝むことはほぼ不可能である。

空から日本を見てみよう ― 名古屋市後編 ―

今回は空から日本を見てみよう名古屋市後編である。

wikipedia:名古屋市

 

 

スタートは中区である。

 

人口は8万5千人ほど。

名古屋城があり、江戸時代から行政の中心地であった。

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現在でも愛知県庁名古屋市役所など行政機関が名古屋城三の丸付近に集中している。

また、名古屋証券取引所があったり、金融機関も集中している。

上場企業の本社も多く、個人的に馴染みのあるところではスポーツ用品のアルペン、食料品のカゴメ、レンタルビデオのゲオ、パソコン周辺機器のバッファローを傘下に持つメルコホールディングスなどが中区に本社を置いている。

また、中部地方最大の繁華街である栄地区を中心に大型商業施設も数多い。

 

次は東区

 

人口は約8万人。

名古屋城の城下町として武家屋敷や寺社を中心に発展してきた。

都心部に近い南西部は大企業の本社などもあるビル街であるが、区の大半は住宅地となっている。

医薬品卸のスズケン、特殊鋼メーカーの大同特殊鋼などが東区に本社を置いている。

また芸術施設やナゴヤドームなどのいわゆる箱モノも充実している。

カトリック布池教会は文化財としても名高い。

 

また、江戸時代~現代にいたるまでの文化的価値の高い建物が点在しており、町並み保存地区として整備されている。

散策コースもいくつか設定されているので、時間をかけて巡ってみるのも楽しいだろう。

 

続いて守山区

人口は17万人を超える。

山間部に近く、自然が豊かで宅地開発が盛んである。

市内では唯一地下鉄が通っていない区である。

戦国時代には小牧・長久手の戦いの舞台となった。

 

日本で唯一のチベット仏教の寺院である強巴林がある。

 

次は千種区

 

人口は16万5千人ほど。

区の南東部には東山公園があり、広大な敷地に動植物園や図書館、東山スカイタワーなどの施設がある。

 

北東部の平和公園は戦災からの復興計画の一環として作られた。

市内有数の桜の名所である。

 

私が愛してやまないドラマTRICKの監督である堤幸彦氏の出身地である。

 

 

最後は天白区

 

人口は16万人ほど。

住宅地としての性質が強い。

名古屋農業センターは名古屋コーチンの雛の最大の生産拠点である。

大投手工藤公康の出身地である。

https://youtu.be/pNFO5DDEuKo 

 

 

日本有数の大都会、名古屋。

あまり観光のイメージはなかったが、調べてみると結構見所があるものだ。