遠軽駅裏 ― 巨岩の下にSL ―

湧別町から国道242号を西へ進むと次は遠軽町だ。

社名渕橋という小さな橋が町境になっている。

 

ほどなくして町の中心部に到着。

国道から少し脇に入ると遠軽駅がある。

その裏には町のシンボル、瞰望岩(がんぼういわ)の姿が見える。

 

 

線路を渡って駅の北西側に行くと、瞰望岩の下に小さな公園があった。

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地上約80mの高さを誇る巨大な岩だ。

 

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アイヌ語ではインカルシ。遠軽の地名の由来となった。

 

 

 

 

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公園には機関車の形をした遊具が置かれている。

 

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そして、本物の蒸気機関車も展示されている。

 

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かつて石北本線を駆け抜けていたこの車両。

今は現役当時走っていた線路の側で静かに佇んでいる。

 

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近くには除雪車も保存されていた。

 

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雨が降っていたのでほどほどにして先を急ぐ。

 

この後丸瀬布、白滝とかつては単独の自治体だった町を抜けて旭川方面へ向かう。

丸瀬布には動態保存されているSLもあるのだが、今回は時間がないのでパス。

旭紋自動車道が並行して走っているため、ほとんど交通量の無い国道を進んでいく。

山深い北見峠の頂上を越えると、隣の上川町に入る。

道の駅上湧別 ― 住所は中湧別 ―

国道238号線を引き続き南下。

湧別町(ゆうべつちょう)に到着。

途中で国道238号線と別れ、国道242号線を進む。

道の駅かみゆうべつで休憩することにする。

 

 

こはちゅーりっぷの湯という温泉が道の駅になっている。

湧別町で最も有名なものは上湧別地区のチューリップ畑であり、町全体がチューリップを押していることから温泉もちゅーりっぷの名を冠したのだろう。

かつての住所は上湧別町の中湧別地区だったのだが、市町村合併により湧別町の中湧別に変わった。

しかし、道の駅の名称はかみゆうべつのままということで、なんだかややこしいことになっているが気にする人はあまりいないと思われるので問題はない。

 

今日は温泉はパスして、天気は悪いが外の展示を見ることにする。

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ここはかつての名寄本線中湧別駅だったのだ。

保線区の碑というのは珍しい。

 

 

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当時の車掌車と除雪車、線路とホームが保存されている。

天気が良ければツヤツヤに黒光りしていただろう。

 

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正面から見たところ。跨線橋も保存されている。

 

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ノスタルジー溢れる駅名標

 

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跨線橋には入れないが、スピーカーからは列車の到着を知らせるアナウンスが聞こえてきた。

 

この中湧別駅は名寄本線名寄本線支線(湧別線)、湧網線と3路線の分岐駅であった。網走へ向かう湧網線は1987年、名寄本線及び支線は1989年に廃線となり、中湧別駅も鉄道の駅としての役目を終えた。

 

かつての重要な駅施設でもあり、国道にも近く、便利な道の駅である。

今回は訪れなかったが、漫画美術館などもあって休憩がてら気分転換に良い所だ。

引き続き国道238号線 ― 新旧交通機関 ―

オホーツク流氷公園を出るとすぐに紋別空港がある。

 一日に羽田と一往復のみが運航している小さな空港である。

 

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正面玄関にはクリオネの像。

中は小さな売店と展望テラスがあった。

観光でこの空港を利用する人は少ないかもしれない。

この辺りは有名観光地というよりは穴場巡りに近くなるかもしれないが、北海道に慣れている人は女満別旭川稚内空港辺りと組み合わせていつもとは違う行程を組んでみるのも良いだろう。

 

空港からさらに進むと、小向という集落がある。

国道から少し入ると小向農村公園という小さな公園がある。

 ここは、かつての名寄本線小向駅があった場所である。

 

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新しい駅名標などが整備され、駅の跡であったことがよくわかる。

後ろに写っているのは小学校。

 

雨が降っていたので、ちらりと見物しただけで先を急ぐ。

 

続いては沼ノ上という集落

ここにも国道の近くに鉄道の駅跡がある。

 

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ホームと駅名標が残されている。

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ここも駅名票は真新しい。

 

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沼ノ上駅の歴史が記されている。

公園ではないので、線路跡は草が茂っているが放置されている印象はない。

 

今回は訪れる時間がなかったが紋別市内の他の駅跡も公園などに整備されており、鉄道への敬意を感じることができた。

紋別市が単独で決めたことなのか、ローカル線ではなく本線であった名寄本線沿線に共通するのかわからないが、鉄道が通っていたことを後世に残したいという思いは充分に伝わってきた。

紋別の海沿い ― 観光地が並んでおります ―

紋別市の町中を離れ、南へ向かうことにした。

せっかくなので海に近い道を通ることにする。

 

港付近は工業地帯にもなっている。

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もちろん漁船も停泊している。

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港に近い出塚水産という店でお土産を買った。

 新千歳空港にも出店している有名なお店である。

かまぼこが特に有名か。

 

この後は道道304号線を通って湧別方面へ。

途中には観光地が点在している。

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海水浴場があって、周辺に観光施設が並んでいる

 

 

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ガリンコ号

 

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オホーツクタワー

 

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少し離れたところにはカニの爪

 

 今回は写真だけで通過したが天気のいい日に改めて訪れたいと思う。

 

この後は国道238号に合流。

元紋別のバス停を通り過ぎる。

ここは名寄本線の元紋別駅に近い場所でもあるが、スルーして左手のオホーツク流氷公園へ向かう。

 

 

ちょうどこの日からラベンダー祭りが始まったのだが

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 見ごろはまだ先である。

 

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一部は咲いていた

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花畑の向こうには遊具があって、子供が遊びまわるには良い場所である。

 

紋別の市街地 ― 駅の跡は駅 ―

目次

 

 

1.紋別駅跡

7月1日~2日

所用で紋別へ行ってきた。

(じいちゃんが、故郷にもう一度行きたいと言ったので連れて行った)

 

帰りは別行動となったので、一人でふらふらしながら札幌へ帰ることに。

まず向かったのはスーパー・お土産屋・温泉施設が一体となっているオホーツク氷紋の駅。

 

しかし、朝早いのでまだ開いていない。

 

もっとも、目的は店舗ではなく

駐車場に建てられているこんなものの見学だったりする。

 

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鉄道の駅名票である。

                                                                             

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在りし日のSLの勇姿

 

説明書きにあるように、ここは元々国鉄名寄本線紋別駅だったのだ。

 

1989年の廃線後、市街地の活性化を目的としてこのような複合施設が建てられた。

紋別駅は名寄本線最大の駅でもあったそうだ。

現在も名称に「駅」の文字を残し、旅行者がやってくるように苦心しているのだろう。

向かいにはバスターミナルがあるので、足を運びやすくはなっている。

 

2.紋別駅の歴史

1921年 名寄東線の中湧別駅~興部駅間の開通に伴い開業。同年名寄本線が全線開通となる。

さらに1923年開業の渚滑線の列車も紋別駅まで乗入を行うようになる。

名寄本線中間駅では最大の規模を誇っていたが、1984年貨物取扱い廃止。

1989年には名寄本線の廃止に伴い廃駅となった。

 

国土地理院地図の1970年代後半の航空写真 

 

駅舎横には貨物用ホームもあり、専用の側線もあった。 

駅南側の鉄道用地は現在メモリアル通りという愛称がついている。

 

 

 

3.鴻之舞金山

駐車場には、鉄道の史料以外にも紋別に所縁のあるものが展示されている。

 

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ただの岩のようだが、ただものではない。

 

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鴻之舞鉱山

東洋一の金山とある。

そう、紋別市には金山があったのだ。

となると、当然上の写真の岩は金鉱石である。

 

 

現在の鴻之舞地区。

市街地とは離れた、かなりの山奥である。

1973年に閉山。今は閉山となって久しく、住む人はいない。

 

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最盛期の写真

市街と呼ばれるほど賑わっていたのだ。

人口は最大13000人を数えたという。

 

現在も住友金属の所有地となっており、工業廃水を清澄化する沈殿池は稼働している。

 

 また、鴻之舞のやや北側にある上藻別駅逓には鴻之舞の史料も保存されている。

 

今回は行けなかったが、次回はぜひ訪れてみたい。

 

 1943年から1948年の短い期間だが鴻紋軌道という簡易軌道が紋別駅まで設置されていた。しかし難工事のため完成が遅れ、完成時には戦中のため鉱山は休山。戦後鉱山は復興したものの道路整備もあって鉄道の利用は低迷。わずか5年間という短い運行を終えた。

 

国土地理院地図の1960年代の航空写真。

 

今と比べると建物はかなり多いようだが、ピーク時はもっと多かったのだろうか。

 

 

 

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