名古屋旅行 ― 交通関連 ―

目次

 

1.山王駅

名古屋駅近郊の写真を色々。

まずは名古屋駅の南方、名古屋鉄道名古屋本線山王駅

堀川、中川運河、鉄道に囲まれた曲線の三角の形をした地区名がそのまま駅名となり1944年開業。

1956年中日球場前駅、さらに1976年ナゴヤ球場前駅に改称した。

ナゴヤ球場の最寄り駅として賑わっていた。

 

 

 

 

 

1987年、JRが貨物支線に臨時駅としてナゴヤ球場正門前駅を設置。

それに対抗して、山王駅も急遽南口を設けた。

しかし、1996年中日ドラゴンズの本拠地がナゴヤドームに移転。

プロ野球開催時は一部の特急を除く全列車が停車していた有人駅だったが、移転後は通過列車も多くなり、2004年には無人化。

繁華街である名古屋駅金山駅の間に位置することもあって利用客は減少。

それでも二軍戦が行われる土日などは混雑することもあるようだ。

 

2.則武と亀町

場所は変わって名古屋駅北方。

ノリタケ本社屋。

 

1904年創業の陶器メーカー。

戦前は高級洋食器を欧米へ盛んに輸出。

近年は電子部品やファインセラミックスの製造も手掛けている。

 

 道路の斜向かいには孤独のグルメにも出てきた台湾ラーメンの店。

たたずまいも似ているのでこの店舗かと思ったが、その後調べるとこちらは「江楽」、あちらは「光陽」

 

この辺りの住所は則武新町

ノリタケ本社が地名の由来かと思いきや、そうではなくて地名が先。創業時の社名である日本陶器から、工場のあった地名に改称したそうだ。

 

高架下をくぐると、最寄り駅の地下鉄亀島駅

 

この辺りは湿地帯で、亀が多く生息していたのが由来らしい。

 

 

名古屋駅に向かって歩くと清正公街なんてものも。

豊臣秀吉に仕えた武将、加藤清正が由来。

秀吉と同じく、現在の中村区出身。

 

まあ、なんてことはない高架下の建物なのだけれど。

中村区には他にも秀吉や清正ゆかりの史跡や、その名にちなんだ場所があるらしい。

 

3.納屋橋と伝馬橋

続いては橋。

名古屋の町ができた江戸時代頃は橋はとても重要なインフラだった。

 

堀川にかかる納屋橋(なやばし)。

付近の地名から命名された。

納屋とは、建物の名前。以下4つの意味で使い分けられる。

1 屋外に建てられた物を納めておく小屋。

2 漁業地で、若者を起居させる網元の小部屋。

室町時代、海産物を保管するため港町の海浜に設けた倉庫。

4 江戸時代、 河岸 (かし) に建てられていた商品倉庫

 

当地は魚を入れておく小屋を指す「納屋掛」の名前に由来すると言われている。

 

堀川掘削時に架けられた7橋の一つ。

江戸時代には周辺に米蔵が並び、積み下ろしが行われていた。

明治時代の名古屋駅開業後や戦後の通行量の増加などによる、広小路通りの拡張などでなんどか架け替えられた。

 

現在は旧橋梁のデザインを復元したり、歴史を示すデザインとなっている。

大きな石造りの親柱。

 

欄干には福島正則の家紋を鋳込んだ半円形の突出部。

 

この通り、道なりに進んでいくと東は長野市まで通ずる主要道なのだ。

 

 

続いて伝馬橋。市のホームページによると、てんまはし と読むらしい。

こちらも堀川7橋の一つ。

伝馬とは官の用途で配置されていた馬のこと。

清州にあった伝馬町が名古屋へ移転してきて、そこに架けられた橋。

 

伝馬橋が架けられたのは、参勤交代で名古屋を通過する大名や朝鮮通信使が通る美濃街道だった。

 

美濃街道は東海道中山道を結ぶ街道。

鈴鹿峠や七里の渡しなどの難所を避けることができるため、通行量が多かった。

 

江戸時代には橋の周辺に材木商が多かったそうだ。