ウトナイ湖から勇払へ ― 白鳥の湖と開拓の苦難 ―

長かった北海道の冬もようやく終わりが近づき、ドライブを楽しめる季節になってきた。

というわけで早速土曜日の早朝5時に家を出発。

しかし、北広島や恵庭あたりでは畑に雪が積もってた・・・

また夜に降ってたんだな。

 

とりあえず国道36号線をひた走り、苫小牧の道の駅に到着。

 

 

ウトナイ湖という湖のほとりにある道の駅である。

まだ早朝なので施設は空いていないものの、湖に出ることができる。

 

建物を抜けると、靴の殺菌マットがある。

ここはラムサール条約にも登録された、鳥獣保護区である。

動植物に有害な菌や外来種を持ち込まないように管理されているのだ。

マットは車止めの手前にあるのだが、車止めの上には小鳥たちが座っている。

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誰かが作り物の小鳥に服を着せてくれたらしい。

心温まる話として新聞記事にもなったそうだ。

 

前に進んでいくとすぐ湖畔である。

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白鳥が3羽泳いでいた。こちらが近づくと遠ざかって行ったので、あまり近寄らないようにして撮影した。

 

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他の鳥の姿は見当たらなかったが、まだ寝ていたのかな。

 

2018年8月またも早朝に訪問

 

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ちょうど目覚めたところだった。

 

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湖は霧がかっていて幻想的な光景だったが・・・写真ではわからないね。

 

2017年の話に戻る。

国道36号線、そして国道234号線から道道781号線を日高本線に沿って進む。

 

次に向かったのは勇払(ゆうふつ)という地名のとある公園だ。

 

勇払開拓史跡公園。ただの公園ではないようだ。

北側は遊具が整備されていて普通の公園の佇まいである。

 

一方南側にある駐車場付近には建物がいくつかあった。

まずはこちら。

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そしてこんなものも。

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そう、ここは墓地でもあるのだ。

 

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江戸時代にはるばる東京から開拓と防衛のために北海道へやってきた人々。

並大抵の苦労ではなかっただろう。

この辺りは湿地帯で農業にも適してはいなかったようだ。

そんな先人を偲んで、この地に墓を建てることとなったわけだ。

 

詳しく知りたい人は資料館もあるので、寄ってみるべし。

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今回は早朝だったので、写真だけ撮って次へ向かった。

世界ふれあい街歩き ― ローマ ―

世界ふれあい街歩き。今回はイタリアの首都、ローマ。

wikipedia:ローマ

人口は280万人強。イタリアの政治、経済、文化の中心地である。

 

ローマ教皇が居住するバチカン市国ローマ市に囲まれている外国である。

 

 

古代ローマ帝国の時代より、常にイタリアの政治の中心地であった。

現在では観光客も多く訪れる国際都市となっている。

またカトリックの総本山でもあり、教会や修道院も数多い。

街中にはイタリアで3番目に長いテベレ川が流れている。

また、丘の多い町であり、起伏に富んだ地形も特色となっている。

 

 

 歴史の古い都市であり、古代遺跡も多い。

コロッセオやカラカラ浴場跡などローマ時代の遺跡は世界的な観光スポットとなっている。

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コロッセオは半周程が古代のまま残されている。

 

その他フォロ・ロマーノやフォロ・トライアーノなど遺跡だけでも枚挙にいとまがない。

 

市内には有名な広場も多い。

19世紀にイタリア王国を成立させたヴィトーリオ・エマヌエーレ2世記念堂の前にあるベネチア広場やスペイン大使館にちなんで名づけられたスペイン広場などが特に名高い。

 

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映画ローマの休日でオードリーヘプバーンがジェラードを食した場所である。

 

また、トレビの泉や真実の口などザ・観光名所が目白押しである。

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ここまで有名になるほどのスポットかどうかは疑問であるが、これもローマの休日とヘプバーンの影響が大きいのかもしれない。

 

また、キリスト教の聖地バチカン市国があることから、カトリックの重要な教会も多い。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂やローマ教皇が生活するサン・ピエトロ大聖堂など巨大なゴシック建築の教会がこれでもかと建てられている。

 

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サンピエトロ大聖堂のドームから見た広場。

最大30万人を収容できる。

 

 

世界屈指の観光都市ローマ。

有名スポットを全部見ようと思ったら何日あっても足りないだろう。

森町 ― 桜とイカ飯とホタテ ―

今日は森町(もりまち)について調べてみた。

wikipedia:森町

 

人口は約1万6千人。

2005年森町と砂原町の合併により、現・森町が誕生した。

 

農業、漁業が盛んである。

道の駅は旧森町と旧砂原町に2か所建てられている。

 

森町の道の駅は裏手にオニウシ公園と青葉が丘公園がある。

道の駅自体はやや古い施設だが、公園と一体化しており特に桜の季節は観光客でにぎわっている。

公園中に桜が植えられており、桜を眺めながら散歩することができる。

 

砂原町の道の駅は漁業の街らしく、海産物のお土産が充実している。

4階の展望台からは砂原市街、太平洋、道南の名峰駒ヶ岳を臨むことができる。

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町内を国道5号線が縦断している。

砂原町方面は太平洋沿いに進む国道278号が市街を貫いている。道の駅付近には季節の花が4kmに渡って植えられており、訪問者を迎えてくれる。

 

鉄道も国道に沿って線路が引かれている。

森駅で5号沿いに走る函館本線と278号沿いの砂原支線に分岐している。

森駅では名物いかめしを販売している。

ボリュームにはやや欠けるものの、駅弁では全国でも屈指の人気を維持している。

 

函館が近いため、観光地としてはやや地味な印象があるが、町北部の濁川は温泉郷になっており、10軒程の入浴施設が存在する。

18世紀から利用されていた記録が残っており、伊能忠敬も訪れたという。

 

濁川温泉からやや南には鳥崎渓谷八景という景勝地もある。

ここは市街地からかなり離れており、喧騒とは無縁の世界である。

紅葉や渓流釣りが目的の人が多いようだ。

 

幕末、函館の五稜郭で戦った榎本武揚土方歳三が本州から上陸したのがこの森町である。JR桂川駅の近くに上陸の記念碑と資料館が建てられている。

当時函館は国際貿易港となっており、戦闘で被害を与えることは後々良くないと幕府軍は判断したようだ。

したがって、少し離れたこの地に上陸したそうである。

 

 

 

空から日本を見てみよう ― 会津若松市 ―

今回の空から日本を見てみよう福島県会津若松市

wikipedia:会津若松市

 

人口は12万人。会津地方の中心都市である。

 

江戸時代には会津藩の城下町として栄えた。

福島県西部の会津盆地の南東部に位置し、国道49号や国道121号、JR磐越西線只見線会津鉄道会津線などが集積する交通の要衝である。

 

戦国時代に蘆名氏が黒川城を築城し、以後は東北第一の城下町として栄えた。

蘆名氏が伊達正宗に滅ぼされた後は伊達氏、蒲生氏郷上杉景勝と城主が変わる。江戸時代には徳川秀忠の子、保科正之が入封して会津松平家の始祖となった。

幕末には藩主の松平容保京都守護職として活躍した。

大政奉還後には戊辰戦争の舞台となり、白虎隊の悲劇などを招く。

 

現在は郡山、米沢、新潟などの都市間の交通の便が良いこともあり、観光地としても有名である。

 

 

 福島のシンボルである猪苗代湖が市西部に位置してる。

日本で4番目の面積を誇り、水質も上位である。

年間を通して家族連れで楽しめるスポットになっている。

 

一方会津若松のシンボル、若松城鶴ヶ城

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 明治時代に取り壊しとなったが戦後復旧された。

明治時代に外国人が旅行した際に撮影されたものがフランスで出版された旅行記に掲載されており、取り壊し前の姿を知るうえで貴重な資料となった。

 

近隣には松平家の庭園であった御薬園も残されている。

 

市の東側には白虎隊の自刃の地となった飯盛山がある。

白虎隊記念館や旧滝沢本陣など歴史資料館が並ぶ。

市内には松平家墓所があったり、新選組近藤勇斎藤一の墓があったりなど幕末ファンは一度訪れるべき場所である。

 

市の南部には芦ノ牧温泉街がある。

行基弘法大師にまつわる伝説もある、古い温泉である。

 

赤べこや起き上がり小法師などの名産品も有名だ。

 

南隣の下郷町へ。

wikipedia:下郷町

 

人口は約6千人。

会津西街道の宿場町として栄えた。

特に大内宿は寄棟造の茅葺き屋根が並ぶ歴史的景観が評価され、県内でも有数の観光地となっている。

地球絶景紀行 ― テカポ ―

地球絶景紀行。今回はニュージーランドへ向かう。

wikipedia:ニュージーランド

 

人口は470万人ほど。行政機関が集中する北島と陸地面積が大きな南島及び小さな島々からなる国である。

マオリ人と呼ばれるポリネシア系の先住民族が約15%を占める。

古代より大陸と遠く離れていたため、独自の生態系を持つ。

大型の哺乳類は全く住んでおらず、モアやハルパゴルニスワシなど大型の鳥類を頂点とする生態系が存在していたが、乱獲によってこれらの種は絶滅した。

 

 

旅の最初は南島最大の街、クライストチャーチから。

 観光名所やマオリ族の文化に触れた後は絶景を目指して旅を続ける。

 

まず向かったのはマウント・クック。

標高3724m、ニュージーランド最高峰の山である。

登頂難易度は非常に高く、夏季でも数十メートルの積雪が残る。

悪天候と貧弱な登山道によって大半の挑戦者は途中で下山する。

 

ふもとの村では飛行機で氷河へ降り立つことができるツアーを組んでいる。

天候が良ければ身軽な格好で山中へ行くことも可能だ。

 

マウントクックから東に行くとテカポという名の湖と小さな村がある。

自然が多く残るニュージーランドでも特に美しい星空で有名である。

 

昼間はミルキーブルーと呼ばれる美しい水面や湖畔に咲き乱れるルピナス、羊の群れなどを楽しむことができる。

 

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そして夜が更けると「善き羊飼いの家」という名の石造りの教会やマウントジョン天文台などのスポットで星空観察だ。

マウントジョン天文台では日本語のガイドもあるらしいので、普段はなかなかお目にかかることができない南半球の星座を楽しもう。

 

また、テカポ湖には水着着用の温泉もあり、日本にいるかのようにゆっくりすることもできる。夜の星空ツアーに備えて体を休めておくこともできるだろう。