地球絶景紀行 ― チェンマイ ―

2011年2月4日放送の地球絶景紀行。

タイ北部の(ムアン)チェンマイへ向かう。

 

中世に栄えたラーンナ―タイ王国の都であった。

1290年頃から都として栄え、一度滅びたものの18~19世紀に再興し、現在のチェンマイの町の基礎となっている。

 

絹織物や陶器、漆器など手工業の町として栄えたが現在は古都の観光が主要な産業となっている。

特に古い寺院や仏教遺跡が多くタイの人々の信仰の深さを感じることができる。

 

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仏塔が並ぶ

 

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日本の寺院とはやはり違った味わいである。

 

 

 ワット・~という名前のお寺が多いが、ワットとはサンスクリット語に端を発する宗教施設という意味の言葉である。

 

チェンマイの西部山岳地帯にはモン族という少数民族が暮らす村がある。針と糸の民とも呼ばれ、伝統的な刺繍を施した衣装や雑貨が有名だ。

 

毎年11月にはローイクラトンというタイを代表するお祭りが開かれる。

 夜空に無数の灯篭を打ち上げ、収穫に感謝を表す幻想的なお祭りである。

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世界ふれあい街歩き ― 青島 ―

2006年7月11日放送の世界ふれあい街歩き

中国・山東省の青島が舞台。

まずは山東省について

wikipedia:山東省

 古代には魯の国と呼ばれた地域である。

孔子孟子孫子そして諸葛亮孔明などを輩出した地だ。

黄河が東西に、長江と黄河を結ぶ運河が南北に走っている。

経済規模は広東省に次ぐ国内2位で韓国や日本と結びつきが強い。

東部は複雑な海岸線を持つ山東半島で、青島は半島の付け根辺りに位置する。

 

wikipedia:青島

 人口は約900万人

東部沿岸部の経済、観光、そして軍事においてきわめて重要な都市である。

 

清朝までは辺鄙な漁村にすぎなかったが、日清戦争後ドイツの租借地となる。

ドイツは軍港建設、鉄道敷設、鉱山採掘など近代的植民地として整備を進める。

当時の街並みは今も残っており、特徴的な赤い屋根が並んでいる。

また、世界的に有名な青島ビールもこの時代に製造が始まった。

現在では青島ビール博物館も建てられている。

また、ドイツ時代の名残として天守教堂や青島迎賓館が観光スポットとしても有名だ。街並みを見渡したければ小魚山公園が良いだろう。

 

もちろん中国の文化にも触れることができる。

湾に浮かぶ青島桟橋や青島で最も古い寺の天后宮などが有名だ。

海洋都市らしく地下五層に広がるダイナミックな水族館もある。名物グルメはナマコにヒトデだ。

 

また、経済では家電メーカーのハイアールやテレビメーカーのハイセンスも青島を本拠としている。

古い街並みをシンボルにしているが中国でもかなり先進的な都市である。

 

 

 

 

空から日本を見てみよう ― 熊本市から阿蘇山 ―

2013年8月20日放送の空から日本を見てみよう

熊本県熊本市から阿蘇山へ向かう。

2017年には大地震の被害にあったところである。

 

スタートは熊本市

wikipedia:熊本市

 人口は70万人超

九州では3番目に人口が多い都市で2012年に政令指定都市となった。

戦国時代は国人が乱立していたが、秀吉の九州平定後は佐々成政が封ぜられるも国人衆を治めきれず改易となる。次いで熊本城主となった加藤清正はよく統治し今でも尊敬されている。

そして江戸時代以降は細川氏の城下町として栄える。

明治時代以降は地理的に九州の中心に近いということもあって、国家機関などが多く置かれ軍都としても発展した。

現在でも行政機関などは多く、九州の主要都市手としての地位を保っている。

 

中央区は人口約18万人

市の中心部であり、県庁所在地や市役所などの行政機関にオフィス街が並ぶ。

また熊本城や細川氏が築いた大名庭園である水前寺成趣園に上通・下通の繁華街など観光の中心でもある。

 

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地震前の熊本城

 

続いては東区

人口は最も多く18万人を超えている。

 自然豊かな江津湖に、その一部を埋め立てた動植物園。そして幕末の思想家横井小楠記念館などが名所である。

 

次は西区

人口は約9万人。

 九州新幹線鹿児島本線豊肥本線の主要駅である熊本駅が位置する。

JRの他に熊本市電熊本電鉄の駅もあり、さらにはフェリーの発着する熊本港も属する交通の要衝である。

 

次は南区

人口は13万人弱

2008年に富合町、2010年に城南町と合併し、それぞれ南区域となった。

 旧城南町の隈庄城は南北朝時代から記録の残る古い城であったが、最後の領主小西行長の死後は廃城となった。今は公園となっている。

 

最後は北区

人口は14万人ほどである。

 2010年に合併した旧植木町を含む。

西南戦争最大の激戦地、田原坂には記念館が設けられた。

 

 

熊本市から阿蘇山方面へ向かう

一気に高森町へ

wikipedia:高森町

人口6千人ほど

 

 南阿蘇地方の中心であり、南阿蘇鉄道で南阿蘇村と結ばれている。

かつては高千穂線と結ぶ計画があったが、トンネルから地下水が噴出し、建設中止になった。その跡を活用し、公園に整備されている。

一方高千穂線は台風の被害で2008年に廃止となってしまった。

グリーンツーリズム型の観光が主となっている。

 

地球絶景紀行 ― バンクーバー島・ヴィクトリア ―

地球絶景紀行・2011年1月28日放送はカナダのバンクーバー島

wikipedia:バンクーバー島

 

 カナダ南西部のブリティッシュコロンビア州に属し、州都ビクトリアのある島だ。

ちなみに州最大の都市バンクーバーは海峡を挟んだ対岸のカナダ本土にある。

 

州内は先住民族が多く住み、内陸部や南西の海岸は自然豊かな環境で観光地としても人気のあるところだ。

 

バンクーバー島は九州や台湾と同じくらいの大きさの島であり、イギリスの植民地であった。ビクトリアはその頃か州都として定められており、現在も行政と観光が主要な産業である。

 

イギリス植民地時代の面影を色濃く残す町並みと庭園が特徴的な都市である。

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特に港付近の遊歩道沿いに見所が多い。

州のシンボルともいえる州議事堂はヨーロッパのロマネスク様式の王宮の様である。夜間のライトアップも必見だ。

 

博物館やイギリス時代の遺構などもこの付近がメインだが、少し北へ足を延ばすとビクトリアでもっとも有名な庭園、ブッチャートガーデンがある。

石灰岩採石場跡だったこの地は現在22haの敷地にサンクン(窪地)ガーデン、ローズガーデン、イタリアンガーデン、日本庭園、地中海庭園の5つのエリアが並び、1年中季節の花々を楽しむことができる。

 

 

 

 そして、ビクトリアを離れ島の北部へ。

 

 アラートベイという島に住む先住民族クワキトルの間はなくなった人はシャチに生まれ変わると代々言い伝えられる。

 

島の近海に住むシャチをオルカと呼び、先祖への想いを重ねてきたらしい。現在でもシャチやクジラにイルカをクルージングで見ることができる。

人間と自然の営みを両方楽しむことができる島であった。

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世界ふれあい街歩き ― フエ ―

世界ふれあい街歩き・2006年6月13日放送はベトナムの古都・フエ。

wikipedia:フエ

ベトナム最後の王朝・阮(グエン)朝の首都であった。

グエン朝は19世紀初頭から20世紀半ばまで存在した王朝である。

末期にはフランスの支配下にあった。日本軍の侵攻及び敗戦と同時にベトナムはフランスからの独立を果たし、王朝も倒れた。

 

また、古代にはベトナム南部を支配したチャンパ王国の首都でもあった。その後は地理的にベトナムの南北の境界線の町となることも多く、ベトナム戦争時にも戦闘が展開された。

 

現在はグエン朝時代の王宮や寺院などの遺跡が残り、ベトナム屈指の観光都市として名をはせている。

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王宮の門

正午に太陽が門の真上に来るよう設計されている。

王宮は堀に囲まれ、王宮内の建造物は皆陶磁器や硝子でふんだんに装飾されている。

 

フエ市内には歴代皇帝の陵墓もあり、シクロと呼ばれる現地の自転車タクシーで周ると楽しいだろう。