日帰り日高 ― 厚幌ダムダムカード ―

厚真町では現在厚幌ダムという北海道管轄のダムが建設中である。

建設中といっても2018年8月時点では試験湛水もほぼ終わり、9月以降に完成式の予定である。

 

 厚真ダムのやや下流に建設されている。

時間とガソリンの都合で現地訪問は断念した。

 

未完成ではあるが、建設中バージョンのダムカードを配布しているので、そちらをいただいてお茶を濁すこととする。

 

 

カードは町の中心部で配布している。

 

f:id:kamonji224:20180812190738j:plain

堤体の中央部が放水路のようだ。

横幅の広いダムのようにに見える。

 

f:id:kamonji224:20180812190916j:plain

台形CSGダムはまだまだレアらしい。

厚幌ダムで国内3か所目だそうだ。

 

ちなみに世界で最初の台形CSGダムは当別ダムである。

kamonji224.hatenablog.com

 

f:id:kamonji224:20180812191331j:plain

冬バージョン。

空撮はやはり緑がある方が映えるかな。

 

日帰り日高 ― 浜厚真駅わがまちご当地入場券 ―

むかわ町から長閑な風景の広がる道道10号線を通って厚真町へ向かう。

 

セイコーマートでわがまちご当地入場券を購入する。

 

 

f:id:kamonji224:20180806204434j:plain

鉄橋の上を渡る列車。

厚真川だろうか。

 

駅スタンプはサーフィンとハスカップ

 

f:id:kamonji224:20180806204624j:plain

裏面は夕陽を浴びながらサーフィンに興じる青年。

輪郭だけ見える建物は街並み?発電所?フェリータミナル?

 

なお、販売しているセイコーマートは内陸の厚真町の市街地にある。

厚真町唯一の駅である浜厚真駅は海岸沿いで、市街地から徒歩でいける距離ではないので要注意。

周りには建物も少なく、原野にぽつんと駅がある。

 

kamonji224.hatenablog.com

きれいにペイントされた貨車駅である。

車以外で訪れるのはなかなか厳しいかな・・・

 


 

日帰り日高 ― 鵡川駅わがまちご当地入場券 ―

日高町を抜けると、隣はむかわ町

日高振興局から胆振振興局へと変わる。

 

ここでもわが町ご当地入場券を購入。

販売しているのは道の駅

 

 

ここは以前に記載したことがあるので、詳細は割愛する。

 

kamonji224.hatenablog.com

 

という訳で、売店にてわがまちご当地入場券を購入する。

f:id:kamonji224:20180805203622j:plain

駅スタンプはししゃもとたんぽぽ

鵡川にかかる橋も描かれている。

 

f:id:kamonji224:20180805203730j:plain

裏面はむかわ竜の化石

これは旧穂別町で発見された新種の恐竜である。

 

 

鵡川駅はすぐそばにあるのだが、時間とガソリンの都合上、省略してしまった。

現状、この駅までは列車がやってくる。

果たして終着駅となるのか否か、結論が下されるのはそんなに遠い先ではないだろう。

日帰り日高 ― 門別駅わがまちご当地入場券 ―

目次

 

 

1.わがまちご当地入場券

新冠町のお隣は日高町(旧門別町地区)

 

まずはわがまちご当地入場券を購入に向かう。

販売しているのはセイコーマートである。

 

 

f:id:kamonji224:20180804222240j:plain

線路わきに花が咲き乱れている。

季節は初夏だろうか。

駅スタンプは疾走する競走馬と騎手である。

 

f:id:kamonji224:20180804222422j:plain

裏面は門別競馬場が描かれている。

 

 

2.日高門別駅と近隣の歴史 

続いて駅を訪問

日高門別駅

 

 

f:id:kamonji224:20180804222656j:plain

町役場の近くにあり、駅前の敷地の広さからも旧門別町の中心駅だったと思われる。

パステルカラーの明るい駅舎だが、ここに再び列車がやってくる可能性はかなり低くなってしまった。

 

門別地区は江戸時代から商場が置かれていた。後に沙流にまとめられる。

明治になると仙台・彦根藩出身者が入植を行う。門別川東岸が開拓の中心となった。

開拓は困難で、大半の者が帰郷したが、残った者たちは牧場や帆船交易などで生計を立てるようになる。

やがて函館と日高沿岸部を結ぶ航路の寄港地となり、1877年には浦役場が設置され、商店街も形成される。

物資の集積地となって町の中心となり、1909年二級町村として施行された門別村の中心地となった。

日高門別駅1924年、木材輸送を目的とする日高拓殖鉄道延伸の際に開駅。

門別川西岸に設置されたことで街の中心は駅近辺に映り、函館航路は廃止となった。

日高拓殖鉄道は1927年国有化、1943年に日高本線と改称。

 

1960年代の国土地理院地図の航空写真

 

駅周辺は広大な敷地があり、木材が大量に積まれている。

 

1977年に簡易委託化及び貨物・荷物取扱が廃止。

2021年3月を持って日高本線廃止に伴い廃駅となった。

 

3.富川駅と近隣の歴史

 

 もう一か所。富川駅も訪れることができた。

 

 

f:id:kamonji224:20180804223357j:plain

こちらは対照的にシックな色合い。

かつては平取へ向かう沙流鉄道の乗換駅としても活躍した。

訪問できてよかったと思う駅舎であった。

 

富川は門別と同じく江戸時代より商場が開かれていた。当時は川の名と同じく沙流という地名。 後に商場は沙流にまとめられ沙流場所が開かれる。運上屋(明治後は会所)も置かれていた。

 

仙台藩彦根藩からの入植も門別と同時。1877年に駅逓が設置。

1880年には戸長役場が設置される。この頃は沙流川の河口という地形に由来した佐瑠太という地名で呼ばれていた。渡し船も設けられた。

1890~1900年代には沙流川の木材流送が盛んに行われる。

この木材運搬のため1911年王子製紙専用鉄道(後の苫小牧軽便鉄道)が敷設され、佐瑠太駅も1913年一般駅として開業。当初は終着駅であった。

駅近くには木工場もいくつか稼働が始まる。

 

1922年沙流鉄道が開通し佐瑠太駅から平取まで開業。

1924年には日高拓殖鉄道(以前の苫小牧軽便鉄道)が厚賀まで開通。

函館日高航路がこの頃廃止となる。

1929年には駅が数百m移転。

駅は農林水産物の集積地となる。沙流軌道も木材や鉱石の輸送を中心に稼働していた。

 

1943年日高本線に改称。

1944年佐瑠太駅から富川駅に改称。

沙流鉄道はモータリゼーションの影響で輸送量が減少し1951年全線廃止。

 

1944年の国土地理院地図の航空写真

f:id:kamonji224:20210523221729p:plain

駅を出て分岐していく二本の線路が見える。

駅と沙流川の間にある貯木場にも貨物専用線が引かれていたそうだ。

 

1982年貨物取扱廃止。

1986年簡易委託化。

2021年3月日高本線廃止により廃駅となった。

 

kamonji224.hatenablog.com

日帰り日高 ― 新冠駅わがまちご当地入場券 ―

目次

 

 

1.新冠駅わが町ご当地入場券

静内の市街地から新冠町中心部まではわずかな距離である。

この距離の近さがかえって市町村合併には適さなかったのだろうか。

 

とりあえず道の駅へ向かう。

 

 

 

まずは売店

f:id:kamonji224:20180803211027j:plain

海と山の隙間を走る列車。

駅スタンプは競走馬とレコード館。バックには日高山脈である。

 

f:id:kamonji224:20180803211215j:plain

裏面もレコード館と競走馬。

シンプルなデザインだが好きなタイプである。

 

このレコード館、道の駅のメイン施設といって良いだろう。

中に入ると所狭しとレコードが収められている。

全国各地から寄付も募っており、質量ともに進化し続けているようだ。

 

時間の都合で有料ゾーンはパスしたが

代りに屋上の展望台へ行ってみる。

f:id:kamonji224:20180803220017j:plain

線路の先に見えるのは判官岬。

 

そして手前には新冠駅舎が静かに建っていた。

 

2.新冠駅

後日、日高本線の廃止が決定した後に新冠駅を訪れた。

 

 

「出会いと憩いのセンター」と大きく書かれた建物。

f:id:kamonji224:20210605170058j:plain

駅舎改築の際、待合室を兼ね備えた町営の施設となった。

 

f:id:kamonji224:20210605170732j:plain

大きな駅前広場からの眺め。

右手には農業倉庫、左手には道の駅のレ・コード館が見える。

 

f:id:kamonji224:20210605170906j:plain

駅前広場から苫小牧方面を眺める。

ホーム横、かつて構内であったと思われる場所はタンポポが一面に咲いていた。

 

3.新冠駅と近隣の歴史

記録に残る新冠駅付近の歴史は、1600年頃の新冠場所開設が始まりとされる。

市街の西側にある判官館のがけ下に会所跡がある。

 

明治になるとお雇い外国人のケプロンエドウィン・ダンが視察に訪れ御料牧場が設置された。

この頃の地名は新冠ではなく高江。1923年高江村の二級町村適用時に新冠村に改称した。

1926年日高拓殖鉄道の厚賀駅静内駅間開通に伴い一般駅として開業。この時の駅名は高江駅であった。

 

第二次世界大戦終戦後、御料牧場が解放され人口が増え始める。

また戦争の前後を通じて新冠川で木材の流送が行われていた。

農産物や木材の積出が盛ん。戦後行われた北電による日高地方の電源開発・ダム工事などの資材も運んでいた。

1948年には高江駅から新冠駅に改称。名実ともに町の代表駅となった。

 

国土地理院地図の1953年の航空写真。

f:id:kamonji224:20210605172547p:plain

現在は踏切になっている場所に駅舎があった。

今の駅前広場と駅裏には木材が所狭しと置かれている。

農業倉庫の前も駅の荷捌場などだったのだろう。

 

現在街の中心部となっている国道235号線沿いは、まだ道路もなく一面畑。

駅前が中心地であったと思われる。

 

1977年貨物取扱廃止。

1987年のJR北海道民営化と前後して完全無人化。

1999年駅舎改築及び苫小牧方に移転、現在の建物となる。

2021年3月いっぱいで廃駅となった。

 

kamonji224.hatenablog.com

 

 

kamonji224.hatenablog.com