日帰り日高 ― 高見ダム ―

さて、静内駅様似駅と同様に観光案内所を併設している。

そこで手に入るのが高見ダムのダムカードである。

 

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この写真では、ピラミッドをさかさまにしたような形に見えるロックフィルダム

 

f:id:kamonji224:20180730234728j:plainダムの高さ及び貯水容量は道内のロックフィルダムでNo1。

さらに国庫の補助を受けた補助多目的ダムとしては日本最大らしい。

wikipedia:高見ダム

 

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冬バージョンは同じアングル。

一面雪に覆われている。

 

高見ダムは新ひだか町中札内村を結ぶ予定だった道道111号線沿線にあるが、崩落が多い道のため、関係者以外は下流の静内ダム付近で通行止めである。

おそらく、この道道が開通する日は来ないものと思われる。

ちなみに、この高見という地域にはかつて集落もあったのだが、不便さに耐えかねてダム建設の前に無人となったようだ。

ダムよりも市街地に近い位置にあったようである。

その到達困難さから、ダムファンのみならず全国的に知る人ぞ知る秘境となっているらしい。徒歩や自転車でいけないこともないのだが、落石やヒグマの危険を考えるとやめた方が良いだろう。

 

下流の静内ダム、双川ダム同様に発電を目的としている。

高見ダムは洪水調節も兼ねているため、北海道が管理しているが高見ダムの発電所及び下流の二つのダムは北電管理のダムとなっている。

 

日高地域の電力整備の目玉設備であったが、地形上難工事を極めたらしい。

このまま(一般人にとっては)人を寄せ付けない幻のダムであり続けるのだろうか。

 

日帰り日高 ― 静内駅わがまちご当地入場券 ―

目次

 

 

1.静内駅とわがまちご当地入場券

日高本線には魅力的な風景の駅が多いのだが、時間の都合泣く泣くそれらをカットして静内駅まで進む。

 

 

 

静内駅付近は日高本線の苫小牧以東で最も大きな町と言えるだろう。

国道沿いにはチェーン店などが立ち並び、交通量も多そうだ。

駅前は国道から少し離れているが、それでも沿線随一の大きな駅であり、外観も立派である。

 

さっそくわがまちご当地入場券を購入。

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駅スタンプはやはり二十県道路桜並木。

静内町の中心駅としては当然の選択だろう。

 

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裏面もそうなる。

 

三石町の立場が気になる所だ汗

昆布くらい入れても良かったのでは…

 

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日高本線の前身である日高拓殖鉄道時代に設置された駅である。

かつては木工所などへの専用線も引かれ、貨物の取扱が多い駅であった。

現在は観光協会も併設している。

 

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駅前のモニュメント。

天に向かって駆け上がる馬。新ひだか町のみならず日高地方のシンボルである。

 

2.静内駅と近隣の歴史

現在の市街地は静内川の右岸。

江戸時代には対岸にアイヌのチャシ(城/砦)があった。

有名なシャクシャインはこのシベチャリチャシを拠点にしていた。

現在は公園となって、博物館なども設置されている。

 

明治期になって開拓が始まり、1880年には戸長役場が設置される。

この時は隣の現新冠町も併せて管轄していたようだ。

役場があることもあってか町は徐々に大きくなり、1900年前後には市街地が形成される。ただこの頃は物流の中心は海上航路。入船町(有良)・東静内(捫別)・春立の各港を含む日高沿岸と函館が結ばれていた。

 

そんな状況が一変したのが大正末期、1926年の日高拓殖鉄道の延伸。

厚賀駅静内駅が開通し、静内駅は終着駅として開業。

翌年日高拓殖鉄道は国有化され、日高線に改称。

1931年線路の軌道拡幅後、物流は海運から鉄道の貨物取扱へ変わってゆく。

 

1933年当駅~三石駅が開通、その後も順に延伸は続き、各町で市街地が駅前へと移っていった。

1938年静内機関区が設置、日高線の主要駅として存在感を増していく。

戦前戦後を通じ木材の輸送が盛んであった。

その他には砂利や競走馬なども搬出していた。

 

1970年代の国土地理院地図の航空写真。

 

当時は2面3線のホーム構造。

この頃はコンテナ基地が設置されていた。一方で静内機関区は廃止され、苫小牧機関区静内支区になっている。

現役晩年の頃、駅の裏側は保線施設になっていた。

 

上の写真では駅の東西、海岸近くに木材が積まれたヤードが見える。

また駅のやや西側からは今も現役の池内ベニヤ建材工場への専用線が分岐している。

最も、この時点では既にあまり使用されていない様子。

この辺りの住所は木場町という地名で、まさに木材の町であったことが見て取れる。

 

1984年貨物取扱廃止。

2001年観光情報センターぽっぽを併設した新駅舎が開業。外観は厩舎をイメージしたデザインだそうだ。

2015年厚賀駅大狩部駅間の高波被害で運行休止。

2021年3月いっぱいをもって廃駅となった。

大きなバスターミナルを兼ねているので建物自体は変わらず営業していくのだろう。

 

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日帰り日高 ― 浦河ダム ―

浦河駅を見学した後はダムへ。

 

 

様似町と同じく牧場に挟まれた道を通って、ダムへ向かう。

 

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こちらも放流中であった。

 

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上流側、管理事務所のそばにも駐車スペースがある。

管理事務所には展望台もあるのだが、土日祝日は職員不在のため閉鎖。

 

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浦河ダムについて

 

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ダム湖はうらら湖というかわいらしい名称

 

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対岸の斜面には競走馬が描かれているのか?木で見えなくなってしまった。

 

ダム湖の撮影も忘れてしまった・・・

やはりスケジュールの詰め込みすぎは良くない。

 

休日は図書館でダムカードを配布している。

 

 

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上空からの写真。

洪水吐が左岸よりなのがわかる。

 

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打設工法について言及されている。

できれば図で違いを知りたいところだ。

 

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北海道150年記念の冬バージョン。

枯れ木が多いのがちと残念

日帰り日高 ― 浦河駅わがまちご当地入場券 ―

目次

 

 

1.浦河駅

様似町から札幌へ戻りつつ、寄り道を重ねることにする。

 

様似町の隣は浦河町

まずは浦河駅を見に行く。

 

 

日高振興局の所在地であり、明治時代から日高の中心地であった。

浦河駅はその中心駅である。

 

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駅舎は歴史を感じる造り。構内は広いようだが、今では一両の列車も来ない場所である。

札幌や苫小牧から距離があることもあってか、あまり中心の町という感じはしないかもしれない。特に駅前は裏通りになっているので余計寂しい雰囲気である。

しかし、それが浦河駅の良さでもある。というと叱られるだろうか。

 

 

2.わがまちご当地入場券

 

わがまちご当地入場券は観光協会で購入できる。

 

駅前よりもこちらの方が中心街といえるだろう。

 

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 日高と言えば昆布。列車が通るすぐ脇で所狭しと昆布を干している。

そして駅スタンプはサラブレッド。

 

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馬に乗って自然を散策。

これは楽しいだろう。日高の各町村にはさまざまな乗馬体験プランがある。

一度は経験してみたいものだ。

 

3.浦河駅と近隣の歴史

江戸時代には元浦川沿いの荻伏に会所が置かれていた。

幕府の直轄地となった1799年に会所が現在の浦河中心部に移転。

明治初期浦河支庁が設置され日高・十勝を管轄。1876年には会所が駅逓に転換。

1880年に戸長役場が設置される。

 

この頃お雇い外国人のケプロンが日高を視察。

入り江のほぼ無い日高沿岸発展のため浦河に築港を進言。

明治中期ごろからは浦河中心部に公的機関が次々と建設される。

日高地方の中心として発展し続ける。

 

1891年には灯台が設置され、1901年支庁長の西忠義が築港の請願・陳情。

それが実って1920年から港の調査そして着工。

廣井勇からもアドバイスがあったらしい。

 

1935年には日高三石駅から浦河駅まで延伸開通。一般駅として開業。

1937年浦河駅から様似駅が開通。1943年日高本線に改称。

木材の発送がメインだが、大正時代から生産が盛んとなった競走馬の発送もあったようだ。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真

 

駅の北側に建物が並ぶ、2面3線のホーム構造。

現在町役場をはじめとする公共機関が並ぶ駅の南側は砂浜が広がる。

かつては駅の東側に貨物ヤードもあったようだ。

埋め立て工事はこの写真の前後に始まった。工事完成後はこちらがわが町の中心部となる。駅の正面は裏通りとなってしまった。

 

1982年貨物取扱廃止。

1986年列車交換設備使用停止。

2015年高波被害により列車運行休止。

2021年運行を再開することなく、鵡川駅様似駅間廃止に伴い廃駅となった。

 

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日帰り日高 ― 様似ダム ―

日高山脈と太平洋に挟まれた日高地方は地形的な理由もあってか、各市町村にダムが建設された。ここ様似町も様似川に様似ダムが存在する。

山奥に建設されて、我々のような一般人は訪れるのが難しいダムも多いが、この様似ダムは町中からわりとすぐということで早速やってきた。

 

 

 

キャンプ場の駐車場からダムを眺める。

なお、数日前にクマが現れたということでキャンプ場は閉鎖中。

恐ろしいので車から降りずに撮影

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ゲートの赤色が映えている。

 

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階段状になっているのは魚道だろうか。

 

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下流から眺める。

恐怖のあまり管理支所やダム湖の見える位置には到達できず。

この写真を撮った辺りは牧場が広がっていて、人の気配もあるのだが・・・

できれば管理所に人がいるときに訪れたい。

ちなみにここのキャンプ場は桜の名所だそうだ。

 

さて、このダムは北海道管轄のダムでありダムカードも配っている。

土日は観光案内所で配布されている。

 

 そう、駅の隣のあそこである。

お土産やジオパークについての説明版を冷やかした後、ダムカードをいただく。

 

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上空からの一枚

紅葉らしき色合いがちらほら見える。

 

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洪水調節用、竣工後40年を経過している。

魚道は後から設置。時代の移り変わりを示しているのだろうか。

 

ところで、2018年は北海道命名150周年ということで、北海道管理のダムカードも特別仕様を発行している。

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冬バージョンである。

雪景色を直に見るのは難しい。北海道らしくて良いデザインな気がする。

 

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裏面はホワイトデザイン。

文面は通常版と同じである。