道北をいっぱい巡った。 ― 名寄駅 ―

目次

 

 

 1.名寄駅

東風連駅を出た後はファミレスで夕食を食べて市街地を抜けた。

が、その前に北の大地の入場券とマンホールカードを取得に向かって、時間切れのため結局もらえなかったという失態を犯した名寄駅について。

 

国道40号線の市街地中心部から駅前通りを東へまっすぐ向かうと到着。

 

グーグルマップを見てもらえればわかる通り、かなり広い構内である。

宗谷本線の中でも最重要な駅で、名寄以南、以北で列車数もかなり違ってくる。

 

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赤い屋根、グレーのツートンカラーの外壁。

2018年に改装工事を行い、建設当時の雰囲気に近づけたらしい。

急いでいたり、雨が降ったりしていたので名寄駅の写真はこれだけ。

駅の中や周囲も全然見ていないので、また必ず訪れるつもりである。

 

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グーグルストリートビューより改装前の名寄駅。

緑の屋根にベージュの外壁。

このデザインも色合いは素敵だが、痛みが目立っていた。

 

 

ロータリー入口から名寄駅を眺める。

駅の周囲には道北バスの案内所に大きめの駅前食堂。

 

国道40号まで続く駅前通り。 

 

グーグルマップを見る限りでは昔ながらの商店街が幾ばくか残っているようだ。

 

宗谷本線と並行して走るアカシア通り

 

ここもアーケードのある商店街のようだが、シャッター通りなのかもしれない。

 

駅裏側から

跨線橋やコンテナが遠くに見える。

左側の青い屋根の建物もJRの施設だと思うが、何かは不明。 

 

2.名寄駅と近隣の歴史

1887年上名寄村が設置されるも和人定住は後年となる。

当初は屯田兵制度を適用する予定だったが、一般人への開放となった。

1900年士別~名寄道路開通。山形から最初の移住団体が入植。この年を開基とする。

入植したのは現在の曙地区である。

1901年には名寄駅逓が設置される。これと前後して天塩川を使った木材の流送が始まった。冬季に伐採を行い、支流の川岸に運んでおく。春の増水の際に一気に運ぶという作業が行われるようになる。

1903年、士別ー名寄間開通にともない開業。駅構内は大量の原木が集積されていた。

1919年名寄本線、1937年深名線が開業。

国鉄城下町として多くの関係者で賑わう。

 

第二次大戦直後は燃料不足で運行が不十分となる。一方で人・物の輸送は激増し名寄に管理部が置かれた。

1949年には構内駅を設け、運転・構内操業を担当、従来の名寄駅は旅客・貨物取扱と職務を分担することとなる。 

期間は僅か4年だったが、それだけ名寄駅は賑わっていたということだ。

最盛期には職員宿舎が300棟を超えていたらしい。

 

1952年には警察予備隊を誘致。現在の陸上自衛隊駐屯地である。

1956年智恵文村と合併し、名寄市となる。

 

1961年天塩川製紙専用線開通。

現在は王子マテリアとなっている。

駅南側にある大きな工場だが、2021年12月に閉鎖、苫小牧に集約予定とのこと。

 

1980年代初頭、国鉄合理化で名寄以北の貨物取扱廃止、駅に従事する職員も300人超から約60人となった。

1987年扇形機関庫が撤去。

1989年名寄本線、1995年深名線が廃止。

1996年貨物列車廃止、自動車代行開始。

2006年JR貨物の名寄オフレールステーション開業。

 

トラック便が北旭川駅との間に1日5便設定されている。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真

 

駅北に現在のオフレールステーションの前身にあたるであろう貨物設備。

駅舎正面に扇形機関庫や機関区設備。

駅南に進むと西へ深名線、真南に天塩川製紙専用線、東に名寄本線が分岐している。

 

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