銀河ヒッチハイクガイド ― パニクるな ―

今日の話題は最近読んだ本について。

 

ダグラス・アダムス

「銀河ヒッチハイクガイド」(河出文庫

 

銀河ヒッチハイク・ガイド (河出文庫)

銀河ヒッチハイク・ガイド (河出文庫)

 

 

 

元々はイギリスのラジオドラマとして世に出た作品。

イギリスで出版されたのは1979年

SFコメディの古典的傑作として誉れ高い。

 

平凡な地球人アーサーはたまたま地球にいた宇宙人フォードとヒッチハイクをすることになる。冒頭から次々と襲い掛かるトラブルになすすべもなく翻弄され続ける。

この作品は全五冊のシリーズの第一作であるが、彼がこの後もトラブルに巻き込まれ続けることは火を見るよりも明白である。

この本を読めばバイパス、お役所仕事並びに掲示板、木曜日、ヴォゴン人、銀河帝国大統領、鬱病のロボット、42、ねずみってのがどれほどの大騒動を引き起こすものか知ることができる。

 

そして、イルカやトリリアンの言うことは良く聞いておくべきだと改めてわかるだろう。

 

最後に、いつ何が起こっても良いように、タオルは肌身離さず持っておくべきだ。

 

シリーズ第二弾

宇宙の果てのレストラン

 

 

小腹を満たすために宇宙の果てのレストランへ出かけた一行。

 

本日のメインデッシュに自らの部位を説明されつつ宇宙の終わりを眺めながらディナーを楽しめる場所。

のはずだが、そこに至るまでさらにその後も毎度おなじみのドタバタ劇。たどりついた星で最後にはシンミリと終わる。

 

第三弾

宇宙クリケット大戦争

 

 遠い昔に銀河の彼方で殺戮を繰り返していたクリキット星人。

好むものは平和・正義・道徳・文化・スポーツ・ほかの生命体の抹消。

迷惑この上ない生物ゆえに封印されるもひょんなことから解放されてしまう。

彼らを迎え撃つのはもっともついてないイギリス人のアーサー・デント。

果たして宇宙の運命はいかに。

 

第4弾

さようなら、いままで魚をありがとう

 

 

再び地球に舞い戻ったアーサー。

破壊されたはずだが、イルカがいなくなったことを除いては全く元通り。

しかし、これまでの人生では考えられないような、まさかまさかの運命の出会いが。

二人で宇宙を旅しながら最後に向かった場所でのまさかの再会。

このシリーズで最も普通であり、微笑ましい作品であった。

 

第5弾

ほとんど無害

 

 

三部作の五作目というキャッチフレーズにふさわしく、エピローグ的なストーリー。

作品同様彼らの人生も終盤に入ってきたような哀愁漂う雰囲気が続き、最後はここに戻ってくるのか、という結末。

作者は続編も予定していたようだが、急逝によりこのラストで終わってしまったというのはちょっと切なすぎる。

 

番外編

新銀河ヒッチハイクガイド上下

 

新 銀河ヒッチハイク・ガイド 上 (河出文庫)

新 銀河ヒッチハイク・ガイド 上 (河出文庫)

 

 

 

新 銀河ヒッチハイク・ガイド 下 (河出文庫)

新 銀河ヒッチハイク・ガイド 下 (河出文庫)

 

 

アダムス亡き後、公式続編がついに登場

前作のラストシーンから見事に本編へと物語を紡ぐことに成功。

第4弾、第5弾では影の薄かったゼイフォードがうっ憤を晴らすようにドタバタと大活躍。シリーズ序盤の活劇と後半の哀しい雰囲気を両立させた名作。

 

SF界屈指のドタバタコメディシリーズにふさわしいラストではあったが、

最後の番外編もあくまでも「途中のひとつの終わり」にすぎない。

いつかまた続編が出版されることを期待しよう。

乙部町 ― 海のプール ―

今日は乙部町について調べてみた。

wikipedia:乙部町

 道南の西部に位置する海に面した町である。

人口は4千人弱。海岸に面したわずかな平野に集中している。

 

道の駅も海岸に近い国道229号沿いに面している。

 漁業、農業が盛んな町であるが、道の駅は小さくて直売所などはない。

そのかわりと言ってはなんだが、高台にあり眺望はなかなかである。

 

近くには海浜公園がある。

ここは防波堤に囲まれた海のプール。

短い夏を楽しむにはもってこいの場所である。

多少波が荒くてもプール内は静かなもの。急に深くなることもなく、バリアフリーにも配慮した老若男女が楽しめる海水浴場である。

また、駐車場からの眺めも乙なものである。

カントリーサインにもデザインされている、乙部町のシンボルである。

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山と海の間が狭いこともあって、海岸線に見所が多い。

河岸段丘の館の岬や柱状節理の鮪(しび)の岬などが有名だ。

館の岬を見るには宮ノ森公園からの眺めが良いだろう。

 

また、幕末の函館戦争の時に官軍が上陸した地としても知られる。

長州藩士の山田顕義(後の司法大臣)に率いられた軍が最終的に五稜郭幕府軍を破ることになる。

 

その後、山田は天才戦術家大村益次郎の跡を継ぎ日本の軍制を整備していく。用兵に長け、西郷隆盛らからも高い評価を受けていた。

欧州訪問の際にナポレオン法典と出会い、法律は軍事に優先することを信条とし、以降は法律の整備に生涯を捧げた。

民法、商法、民事訴訟法などの基礎を作り、日本大学の前身の日本法律学校の創立にも深く関わった。

 

 

 

 

 

 

 

空から日本を見てみよう ― 京成電鉄本線東京編 ―

今回の空から日本を見てみよう京成電鉄本線に沿って飛んでいく。

 

スタートは東京・上野駅だ。

 上のは台東区の西側に位置する。

wikipedia:台東区

台東区は人口20万人で、東京で最も古い市街地を有する。

面積は23区の中で最も狭く、商業地が大半である。

上野は北関東、東北、信越地方からの玄関口であった。

京成電鉄は東京から千葉の成田山新勝寺への参拝客の輸送を目的として設立された会社である。

 

区内では日本初の公園である上野恩賜公園不忍池西郷隆盛像、上野動物園etc..)や浅草寺寛永寺などが有名である。

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続いて飛んでいくのは荒川区

wikipedia:荒川区

 こちらも人口は20万人をやや超えるほど。

明治時代以降は下町の代表的な工業地帯であったが、現在は工場跡の再開発も進んでいる。

かつては大毎オリオンズのホームスタジアムである東京スタジアムもあった。

 

続いて足立区へ。

wikipedia:足立区

 人口は70万人弱。

隅田川、荒川が区内を流れている。

言わずと知れたビートたけし渥美清の出身地である。

ザイエローモンキーのベーシスト、廣瀬氏も足立区出身である。

 

 

 最後は葛飾区

wikipedia:葛飾区

 人口は約45万人

23区の中で世田谷区と共に地下鉄が通っていない区である。

寅さんとこち亀で御馴染みである。

 

日本のセルロイド工業の発祥の地でもあった。

(世界で初めて実用化されたプラスチックの一種。石油ではなく植物から生成される)

現在でもメガネのフレームやピンポン玉などに使われている。

 

 

 

 

 

 

地球絶景紀行 ― ノルマンディー ―

今回の地球絶景紀行はフランスのノルマンディー地方へ。

イギリス海峡に面するフランス北西部の地方である。

 

シードル[林檎酒のサイダー)の産地としても知られている。

 

最初に向かったのはセーヌ川河口の港町、オンフルール。

 

中世には貿易の拠点として栄えた。

また、印象派の画家が港を題材に多くの絵を描いたことでも知られている。

 

サントカトリーヌ教会やセーヌ川をまたぐノルマンディー橋でも有名だ。

 

 

しかし、ノルマンディー地方の最大の名所と言えばやはりここ。

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モン・サン=ミシェルである。

 

サン=マロ湾上に浮かぶ小島とその上に聳える修道院の総称である。

この辺りは潮の満ち引きが激しく、満潮時はあっという間に海が島を取り囲むそうだ。

 

かつてはケルト人の聖地であったが、10世紀ころにカトリック修道院が建てられる。

現在の姿になったのは13世紀。

何度にもわたって増改築が行われ、多様な建築様式が混ざり合っている。

 

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満潮時と干潮時では雰囲気も違うので、できれば半日くらいは過ごしたい。

 

 

 

世界ふれあい街歩き ― アモイ・コロンス島 ―

世界ふれあい街歩きシリーズ。

今回は中国福建省厦門(アモイ)へ。

 

まずは福建省について

wikipedia:福建省

 

中国の南部、沿岸地帯に位置する。

人口は3700万人ほどで、略称を閩(びん)と称している。

山地が多かったため、海外へ移住する者も多く、福建省をルーツに持つ華僑は多いようだ。

 

日本とのつながりについては

Amazon CAPTCHA司馬遼太郎街道をゆく 閩のみち」

に詳しい。

 

烏龍茶の産地としても知られている。

 

今回は福建省第二の都市、アモイへ向かう。

 

 厦門経済特区の一つであり、人口370万人の大都市である。

明の時代から貿易で栄えた港町である。

 

 アヘン戦争後イギリスに占領され、共同租界となり外国商館が建ち並ぶ町となった。

特にコロンス島には領事館が置かれ、現在でも観光地として名高い。

 

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 コロンス島を臨む。

 

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鄭成功の像。

明の滅亡後、再興を願って清に抵抗し続ける。

その後は台湾に逃れ、台湾の開発の基礎を築いた。

明の復興はかなわなかったが、台湾に駐留していたオランダ軍を打ち払うなどしたため、台湾では英雄の一人とされいてる。

明の再興を図っていたころ、勢力を蓄えていたのが厦門付近であったため、彼を記念する博物館も建てられている。