国道12号線の町 ― 砂川オアシスパーク ―

奈井江町から国道12号線を北上。

砂川市に入る。

 

市街地の西側の遊水池へ向かう。

 石狩川の跡地を利用して造られたレクリエーションエリアとなっている。

 

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 治水事業の一環でもあるため、管理所が設けられている。

入館は自由であり、休憩所としても利用できる。

 

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周辺の地図。

 

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池の周囲はパークゴルフ場などの公園になっている。

 

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この日は平日ということもあって水面は静かだった。

 

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管理所の3階は展望台になっている。

 

1階には石狩川の治水の歴史も展示されていた。

 

ダム見学が好きな人は楽しめるところだと思う。

国道12号線沿いの町 ― 奈井江町わがまちご当地入場券 ―

目次 

 

1.奈井江駅とわが町ご当地入場券

8月下旬のとある平日。

急きょ仕事が休みになり、天気も良いのでドライブに行く。

 

国道12号線を北上し、奈井江町に到着。

奈井江駅へ向かう。

 

跨線橋を持つ2面3線のホーム構造だ。

 

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駅舎はやや古め

駅前はかなり広い。

 

ここは委託の駅員さんがいるが、時間が限定されている。

しかも平日のみなので、わがまちご当地入場券を購入するには注意が必要だ。

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駅スタンプは稲と美唄山の不老ノ滝のようだ。

 

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裏面は町の東側にあるにわ山の桜と稲穂。

奈井江町カントリーサインはメロンなのだが、採用はされず。

この町もかつては石炭産業が盛んであったが、三笠市美唄市のような整備された遺構はほぼなく、鉄道の痕跡もあまりない。

自然に帰ったワイルド状態のものはあるらしいが。

 

2.奈井江駅と近隣の歴史

街の中心部にある奈井江駅、1889年に現在の小学校のあるところに駅逓が設置され商店や小集落ができ始めた。

その翌年に奈江村設置。さらにその翌年鉄道が開通。一般駅である奈井江駅が開業し、市街地が形成された。

1903年奈江村が砂川村に改称。

1910年日本興業炭鉱(後の山下汽船炭鉱)との間に馬車軌道敷設。

1923年炭鉱が閉山し、馬車軌道撤去。

大正期には木材や農産物の出荷が多かった。石狩川の対岸からも集積していたようだ。 

 

1934年駅舎改築。1940年住友鉱業奈井江砿へ専用線敷設。

1944年砂川町より分村し、奈井江村発足。

1949年三井鉱山奈井江専用線鉄道開業。

1950年町制施行。

 

1960年代の国土地理院地図の航空写真

 

 

駅東側、駅裏にあたる部分は広い構内が確保されている。

かつては石炭などが山のように積まれていたのだろう。

駅南側からは住友鉱業への専用線がカーブを描いて東に向かっている。

現在町の体育館が建てられている辺りが選炭場であったようだ。この廃線跡は現在道路に転用されている。

ストリートビューを見ると駅裏は今も貯炭場に見える。

 

 

 

駅から少し北へ進むと東側へ分岐していく路線が見える。

これが三井鉱山奈井江専用鉄道だ。

東奈井江まで約10kmの距離を結んでいた。

1949年の時点では白山坑駅までの6.4km。1951年に奈井江坑開発でさらに3.6km延長された。

 

やがてエネルギー革命で石炭の時代は終わり、炭鉱の閉山が相次ぐ。 

1968年三井鉱山奈井江専用鉄道廃止。

1970年住友鉱業専用線廃止。

 

その後は米の搬出が主であったが、1978年貨物取扱廃止。

1984年簡易委託化。

かつては急行列車が停車していたが現在は普通列車のみ。日に500人前後の利用者を持つ。

 

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車中泊十勝巡りの旅 ― 月形町わがまちご当地入場券 ―

目次

  

1.石狩月形駅

浦臼駅から再び国道275号線に戻って南へ向かう。

 

隣は月形町。

まっすぐ石狩月形駅へ。

 月形町の中心部にある駅だが、駅前は静かな雰囲気。

ただ、札沼線にあっては珍しい有人駅である。

 

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西日がまぶしい時間帯。

200万都市札幌から1時間程度電車に乗れば、まるでタイムスリップしたかのよな風景に変わる。

 

 

2.わがまちご当地入場券

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入場券は石狩月形駅ではなく、札沼線屈指の秘境駅として知られる豊ヶ岡駅

駅スタンプも森の中の駅にやってきた車両と写真そのまま。

 

JRさん、この売れ行き好調なのであれば、数年後で良いので1自治体1種類に限定せず、複数作っても良い仕組みにしたらどうですかねえ。

 

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裏面には近隣の博物館、樺戸集治監と月形町の名の由来となった人物、月形潔の写真。

集治監とは刑務所で月形さんは初代典獄。今でいう刑務所長だった。

それが縁なのか現在でも月形町は刑務所と少年院がある。

 

北海道の開拓の歴史には囚人の労働も切り離せない要素である。

刑務所の博物館というと網走が有名だが、この博物館もなかなかの評判である。

 

そして、ここで長かった1泊2日の気ままなドライブも終わり、家へと帰るのであった。

 

3.石狩月形駅と近隣の歴史

月形町の中心地に位置する石狩月形駅

その開拓の歴史はまず1881年に開庁した樺戸集治監に始まる。

アイヌの人々が時折狩猟に訪れる程度のほぼ無人の原野であったこの地に政治犯などを収容する集治監が建設される。1903年に集治監制度が廃止、その跡を継いだ樺戸監獄が1919年に廃監となるまでこの地を象徴する施設であった。

石狩川と樺戸山地に挟まれ、脱獄が難しい。一方で石狩川の水運が物流に適し原生林の豊富な木材の利用が見込め、河川流域は肥沃な土地が広がっているという地形的理由からこの地が選ばれる。囚人たちにより原野の開拓や道路の開削が行われ、集治監を中心に徐々に町が出来上がる。

後の国道275号美唄市峰延への道路などが囚人によって開削されるも、泥炭地に引いた道路のため、当時の技術では冬など使い物にならない道路であったようだ。

 

そのため冬季などは陸の孤島に近く鉄道開通は住民の願いであった。

そして、ついに石狩月形駅が1935年石狩当別駅~浦臼駅の開通に伴い一般駅として開業。

1943年第二次大戦の影響で当駅~石狩追分駅間が休止、さらにその翌年石狩当別駅~当駅間も休止となる。

1946年営業再開。1979年に貨物取扱中止、1986年出改札要員配置廃止、運転要員が出札業務担当となる。

2020年4月17日最終運行、5月7日札沼線の廃止に伴い廃駅となった。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真。

 

駅構造は1面2線ホーム。駅舎側には貨物線も引かれている。

駅舎札幌側に貨物積卸場があった。貨物廃止後は保線車両用線となっていた。

 

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車中泊十勝巡りの旅 ― 浦臼町わがまちご当地入場券 ―

目次

 

1.浦臼駅わが町ご当地入場券

新十津川町から国道275号線を南下。

 

田園地帯を通り、浦臼町に入ると左手につるぬま温泉という温泉がある。

 裏手には鶴沼という沼。

沼の周りはキャンプ場と公園になっている。

向かいには道の駅もあって、浦臼町のレジャースポットと言える場所だ。

 

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鶴沼ではスワンボートに乗ることも可能だ。

 

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開拓に関する記念碑のようだ。

 

この温泉で、わがまちご当地入場券を購入できるのだ。

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冬山をバックに走る単行列車。

駅スタンプはブドウと今では幻ともいわれるボタンソバ。

かつては道内のそば栽培の主流品種であったが、背が高くて倒れやすい・収穫量が伸びないなど難点があった。現在は改良種であるキタワセソバが大半を占めている。

そんな中でもここ浦臼町ではボタンソバの栽培が続いていたことから、近年地域の特産品としてプッシュしているそうだ。収穫が難しいものの香りが強く風味も濃いらしい。

 

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裏面はカタクリの花に囲まれるエゾリス

浦臼町らしいのかどうかはわからないが、良い写真だとは思う。

 

浦臼神社は鶴沼から道路を渡ってすぐ、道の駅の裏手にある。

 

 

2.浦臼駅 

駅はもう少し南側にある。

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 立派な建物だが、無人駅。

町のふれあいステーションと診療所が併設。

 

 

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少ない本数の電車と偶然遭遇。

 

3.浦臼駅と近隣の歴史

現在の浦臼駅近辺は、1894年聖園農場がまず教会堂兼小学校(後の浦臼小学校)を建てる。1899年に月形村から分村。浦臼村となり現在の町役場に戸長役場を設置。

現在でも国道275号線沿いにキリスト教の聖園教会が建っている。

 

浦臼駅は1934年札沼北線の浦臼駅新十津川駅間開通に伴い一般駅として開業。

1935年石狩当別駅~浦臼駅間が延伸開業。札沼線が全線開通。

1943年第二次大戦激化に伴い石狩月形~石狩追分駅間が休業。

1946年石狩当別駅~浦臼駅間が再開。

1953年浦臼駅~雨龍駅間が再開。

 

1979年貨物取扱廃止。1984無人化。

1997年駅舎改修、町営ふれあいステーションを併設。現在は歯科診療所も入居。

2020年5月7日北海道医療大学駅以北廃止に伴い廃駅。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真。

 

この頃は2面2線のホーム構造。

駅裏に貨物積卸・留置用側線、駅舎札幌側に貨物ホームと引込線がある。

駅裏北側にある木工所にも側線が接しており、さらに南側には土場、車庫、転車台も見えている。いずれも貨物取扱廃止後に撤去され、木工場もなくなった。

 

現在も駅前南側に残る農業倉庫がかつて貨物取扱もしていた大きな駅であったことを示す最後の名残となるのかもしれない。

 

 

 

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車中泊十勝巡りの旅 ― 新十津川町わがまちご当地入場券 ―

目次

 

1.新十津川駅

滝川駅を出て、国道275号方面へ向かう。

すぐに隣町の新十津川町に入る。

 

 

駅は町の中心部に近い所にある。

 

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駅舎は寂しげだが、この日は見学者で賑わっていた。

たとえ一日一往復の駅であっても、駅としての矜持は失っていないように見えた。

妄想が過ぎるか。

 

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駅の向こうは線路がちょっとだけ続くが、集合住宅らしき建物の手前で途切れている。

 

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駅名標はくたびれた様子。隣の下徳富駅は漢字の表記がない。

 

ここは無人駅なので、ご当地入場券は駅前の寺子屋というお店で購入する。

軽食と鉄道グッズを販売しているお店である。

 

 

同好の士が老若男女問わず結構いた。

 

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残雪の残る山脈と田園を横に青空の下走る一両のキハ。

駅スタンプは樺戸連山と駅舎である。

 

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裏面は駅舎と車両を上空から撮った写真。

桜が咲いているようだ。

 

この時点ですでに2000枚突破。

お店のおばあちゃんも忙しそうであった。

道内でも有数の売れ行きらしい。

 

2.新十津川駅と近隣の歴史

新十津川町の成り立ちは奈良県十津川村を襲った水害が発端である。

 

災害によって住む場所も失った人々へ、明治政府が用意したのは北海道の未開の地だった。

1889年、移住してきた人々は現在の滝川市にあった屯田兵屋で冬を越し、丸木舟で新十津川の地へとやって来た。

開拓の様子は小説にもなっている。

当初は亜麻の耕作を盛んに行っていたが夜盗虫や石狩川の水害の被害が大きく、影響を受けにくかった水稲の耕作に転換。今では北海道を代表する水田地帯となっている。 

新十津川物語〈1〉北へ行く旅人たち (偕成社文庫)
 

人数も多く、単なる集団移住ではなく分村建設に等しいとみられたこの大移動は、明治政府に特別保護も受けた。明治政府内に十津川村出身の名士も少なくなかったことも要因と思われる。

 

1902年に石狩川に架かる橋が完成し、現在の住所でいうと、「中央」付近が賑わうようになる。1906年には今も名高い金的酒造の前身の新十津川酒造が創立。

 

新十津川駅は1931年札沼北線石狩沼田駅~当駅間の開通に伴い開業。

この時は中徳富駅という駅名だった。

当時新十津川町の中心地はこの辺りと北隣駅にあった石狩橋本駅付近の2か所に分かれていた。駅の設置数などでも紛争があり、結果として町名を名乗る駅はなく上徳富駅・石狩橋本駅新十津川駅下徳富駅の4つの駅を設置することとなった。

1934年当駅~浦臼駅間が開通。

1935年浦臼駅石狩当別駅間が開通し、札沼線が全線開業。

役場や産業組合が中徳富駅付近に移転してくる。

 

1943年第二次大戦の影響で札沼線営業休止。

1953年札沼線再開時に中徳富駅から新十津川(しんとつがわ)駅に改称。

1972年当駅~石狩沼田駅間が廃止となる。

 

1979年貨物取扱廃止。

1986年完全無人化。 

1997年「しんとつかわ」駅に改称。

 

2020年札沼線北海道医療大学駅以北の廃止に伴い廃駅となった。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真。

 

この頃は1面2線だっただろうか。

終着駅だった時期があるからか、貨物用なのかわからないが側線があったようにも見える。

 

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