栗山公園 ― 動物たち ―

引き続き栗山公園で遊ぶ。

 

 

SL広場の奥にはキャンプ場、そしてミニ動物園がある

 

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ポニーとか

 

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モルモットとか

 

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ニホンザル

 

 

 

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ウサギさん

 

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ヤギに

 

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シカに

 

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クジャク

 

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水鳥たち

 

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頭のこぶ、そんなにすごいのだろうか

 

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なかなかでした

近くのお母さんが腫瘍?と話していた

 

うまれつきの瘤だよ、こぶ。

栗山駅と栗山公園 ― わがまちご当地入場券とSL ―

由仁駅を出て、次は栗山駅へ。

 以前にも書いたが、かつては夕張鉄道も通っていた交通の要衝であり、広い敷地に名残が垣間見える。

 

 今でも大きな駅舎があるように見えるが、由仁駅同様に町の施設に駅が併設されている形だ。

 

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土堤の上を走る列車。

駅スタンプの樹齢300年を超えるにれの木は阿野呂地区にあるそうだ。

 

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裏面は町の風景とカントリーサインにも採用されているオオムラサキ

 

続いて近くにある栗山公園へ向かう。

 栗山監督にちなんで少年野球が盛んらしく、この日もユニフォーム姿の子どもが多かった。女子もそれなりの人数がチームにいるようだ。

 

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広場にはSLが展示されている。

 

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松原産業という会社から寄贈されたもの。なお、この会社は夕張鉄道の旧駅舎を社屋にしている。SLも夕張鉄道を走っていた。

 

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レールもです。

 

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室蘭本線由仁駅 ― ぽっぽ ―

目次

 

1.由仁駅とわが町ご当地入場券

長沼町から隣町の由仁町へ向かう。

由仁駅に到着。

かつては石炭の運搬で栄えた室蘭本線であるが、岩見沢~苫小牧間は完全にローカル線となった。

 

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数少ない運行の列車と偶然遭遇。当然のように単行編成だ。

 

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駅舎は交流施設ポッポ館の一部として機能している。

 

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SLをモチーフにした花壇?Yu2でゆに(由仁)なのだろう。

 

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濃いめの青が印象に残る車両。駅スタンプは由仁駅の旧駅舎。

2006年に老朽化のため解体されたが、それまでは道内最古の現役木造駅舎であったらしい。

 

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裏面はゆにガーデン。以前に一度行ったが、かなり大きな洋風庭園である。

 

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2.由仁駅と近隣の歴史

1892年北海道炭礦鉄道により後の室蘭本線が竣工し由仁駅も一般駅として開業。工事中は現場付近に人夫相手の商店が並び、やがて夕張川・由仁川沿いに開拓者が増え始める。人口増により同年由仁村が設村された。

 

由仁駅は近隣農産物の集積地となり、室蘭線随一ともいわれる貨物倉庫を持った。

加工場・卸売・小売店舗も集まり近隣では札幌・岩見沢に次ぐ規模の市街地が形成される。また鉄道・炭鉱で使用する砂利採取のための岐線も設けられた。

 

1906年北海道炭礦鉄道の路線が国有化。

 

1943年軍の要請で宇古川砂利採集場へ専用線を敷設。

戦後は札建工業が請負。1970年頃まで使用していた。

 

1970年代の国土地理院地図の航空写真

 

駅裏南には木材が積まれている。現在このスペースは公共施設となった。

駅北側には大きな貨物取扱スペース。当時は2面3線のホーム構造と幾つもの側線を持っていた。

 

1980年貨物取扱廃止。

1984年駅員無配地駅となる。

 

2006年旧駅舎が解体。

町が交流施設を設置し、駅舎機能も兼ねている。

 

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夕鉄のあった風景 ― 長沼コミュニティ公園のSL ―

9月某日。

天気が良いので家族でドライブに行く。

長沼町のリストランテクレス長沼で昼ごはん。

 

 

野菜メインのバイキングである。

特にペペロンチーノ風のズッキーニがべらぼうに旨かった。

 

昼食後、近辺をドライブすることに。

 

最初に向かったのはながぬまコミュニティ公園

 この公園には子供が遊べる水場があって、敷地も広くていいかと思っていたのだが、ここに来るまでにお昼寝タイムに入ってしまった。笑

 

ということで、パークゴルフ場の一角に佇んでいたSLの見学のみ行う。

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屋根はないが、綺麗に塗装されている。

 

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北長沼を通っていた夕張鉄道で活躍した車両である。

 

かつては20年以上放置されていた時期もあったが、株式会社日本旅行のSLメンテナンスツアーによって、有志の手で再塗装された。

 

これがきっかけで地元の人々により毎年メンテナンスされることとなり、解体の憂き目にあうことから逃れられた。

 

長沼町にあった夕張鉄道の駅跡はあまり痕跡が残っていないが、こういったことをきっかけに何か整備されるかもしれないなと思う。

国道12号線の町 ― 砂川市わがまちご当地入場券 ―

目次

  

1.砂川駅とわがまちご当地入場券

砂川オアシスパークを出て北上すると、すぐに砂川の市街地に到着。

 

さっそく駅へ向かうことにする。

 

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東口は地域交流センターと連結している。

 

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西口が駅の正面。

 

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駅スタンプは先ほど訪れた遊水池の水門

そして、市民一人当たりの都市公園面積は日本一を誇ることから、公園都市・砂川と名乗っている。

 

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裏面はお菓子が並んでいる。

スイーツで有名な砂川。

現在は北菓楼などの18店舗が名を連ねている。

高速道路のサービスエリアも年々充実しており、観光客に人気のスポットだ。

 

この後、どこかへ寄ろうと考えていたら某所で車をこすってしまい、絶望に打ちひしがれながら札幌へ帰ったのであった。

 

2.砂川駅と近隣の歴史

砂川は当初より交通の要衝として栄えた。

1880年代頃から歌志内・上砂川の炭田調査が始まる。

さらに同じころ滝川に屯田兵入植、さらに新十津川への移民が始まり通過地点の砂川には商店や宿屋ができて、徐々に賑わいが見えるようになる。

 

1891年北海道炭礦鉄道空知線の岩見沢~砂川、砂川~歌志内間が開通。

翌年砂川~空知太駅間も開通。この工事期間に砂川市街も区画割などが行われ、砂川駅も設置された。

 

1898年上川線と接続し砂川~滝川駅間が開通。空知太駅は廃止された。

 

1902年二級町村の奈江村発足。

翌年砂川村に改称。

1903年 三井物産砂川木挽工場の専用線敷設。

砂川は鉄道・流送による木材の集積地で、市役所裏付近に貯木場があった。

当時は満州に輸出する枕木などの製造が盛んで木材需要は活況を呈した。

その他砂利や石材の搬出も盛んであった。

 

1907年一級町村制施行。周辺を商圏として栄える。農産物や木材の発送も変わらず盛んであった。

 

1918年三井鉱山専用線を敷設。1926年に上砂川支線となって旅客扱い開始。

歌志内・上砂川から運ばれる石炭の集積地ということもあって多数の側線を有する大きな構内であった。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真

 

駅北からは歌志内線、駅南側からは上砂川支線が分岐している。

構内には函館本線・歌志内線用の2面3線構造の島式ホームと上砂川支線用単式ホームが設置されていた。

 

上砂川支線の分岐から少し南には既に役目を終えた転車台がまだ残されている。

その南にある木工場へもかつては専用線が続いていた。

 

時代は流れ、石炭から石油へとエネルギー転換が始まる。さらに

1984年貨物取扱廃止。

1988年歌志内線廃止、1994年上砂川支線廃止。

かつて存在していた多数の側線も徐々に撤去されていく。

 

2007年上砂川支線跡に地域交流センターが建てられた。

駅舎と自由通路で結ばれている。

建物内には上砂川支線の線路やレールが展示されていたりするのだ。

 

 

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